「APAの治療ガイドライン」の要約

こば心療医院


はじめに

 一般的に、進行癌や慢性アレルギー性疾患など長期に続く難治疾患は治療効果がはっきりしなかったり、あるいは有害性さえ指摘されているような民間療法な どが比較的多く行われていたりします。
 精神科の疾患も、そのうち幾つかは長期に続く難治性のものがあるという事情もあるでしょうが、同じように効果の疑わしいあるいは有害性さえ指摘されてい るような治療法が現実に存在しますし、そうした治療を受けている患者さんが少なくありません。最終的に治療法を選択するのは患者さん本人であったり家族で あったりするのでしょうが、正しい知識がないことには選びようがないのも事実でしょう。
 このコンテンツではアメリカ精神医学会APAが出しているガイドラインをもとに、それを一般向けに分かりやすく要約して提示します。もちろん、ガイドラ インにあることが全てであって、それ以外の治療法は正しくないと主張するものではありません。ただ、それぞれの疾患についてオーソドックスな治療アプロー チはどのようなものであると考えられているのかをお示しするものです。
 前回この「APAの治療ガイドライン」を書いてから、もう数年が経過しました。その間に「APAの治療ガイドライン」も一部改定がなされたり、精神科治 療も幾つかの発展があり、少しだけ内容が変ってきています。今回(2008年改訂版)では、この点も入れて紹介いたします。

 もくじ

 1.統合失調症(精神分裂病)

 2.うつ病(大うつ病)

 3.躁うつ病(双極性障害)

 4.パニック障害

 5.摂食障害

 6.境界性人格障害

 7.老人性認知症





1.統合失調症(精神分裂病)

1.統合失調症の治療総論

  統合失調症は基本的に慢性疾患であり、その病気は患者の生活のほぼ全般に影響を与えるものであるため、治療計画には、(1)症状の消失あるいは軽減、 (2)生活の質を向上し社会適応を改善すること、(3)病気による悪影響から可能な限り脱出し回復した状態を維持すること、の3点が目標になってきます。 このためには正確な診断が不可欠ですし、診断は一度きりのものではなく治療過程の一部であり継続的に行っていくものと考えるべきでしょう。

  診断が確立したら、治療における標的症状を見定め、どの程度の改善が見込めるかの現実的な検討をすべきです。治療における標的症状には陽性症状、陰性 症状、抑うつ症状、自殺念慮や自殺関連行動、物質乱用、ストレス性障害、社会不適応症状、などがあげられるでしょう。ちゃんとした治療を行う上では、診断 と治療計画を定期的に見直していくことが大切です。

  支持的な治療関係は治療に必要な情報収集のためにも、患者がすすんで治療に取り組む気持ちを持つためにも重要です。患者の承諾を得て家族やその他の周 囲の人を治療に引き入れることも治療関係を強化する上で有効になりうるでしょう。患者がどのような社会的状況に置かれているかは治療への反応や服薬遵守に も大きな影響があるものですから、患者にどのような生活背景があるか、家族状況がどうであるか、収入はどうなっているか、などの社会的状況は定期的に確認 すべきでしょう。

2.急性期治療

  急性の精神病状態(幻覚、妄想、思考や言動の急激な混乱、興奮など)に対する治療の目標は、身体・生命の危険が生じることを防ぐこと、混乱した行動を 軽減すること、精神病症状を軽減すること、急性増悪を引き起こした背景の問題を見つけ解決していくこと、出来るだけ早くもとの生活レベルに戻れるようにす ること、治療関係をしっかり築いていくこと、短期的・長期的な治療計画を立てていくこと、そして最終的には患者をしっかりともとの社会に戻していくこと、 があります。
  急性期の危機的な状況では治療を行う上で家族などの協力が不可欠ですし、家族も大変なストレス下にあるためサポートが必要でしょう。

  急性増悪を引き起こすもので最も多いのは、服薬していた薬の中断、物質乱用、生活上のストレス、などですが、特に誘因なく自然経過で急性増悪してしま うこともあります。

  統合失調症の患者においては自殺の危険性を評価することは非常に重要です。患者に自殺企図の既往がある場合、抑うつ症状がある場合、希死念慮がある場 合は特に要注意です。同様に、他者に対する暴力の危険性も評価しなくてはなりません。

  急性精神病状態は精神的苦痛が著しいものですし、人生を狂わせてしまうものですし、生命・身体の危険性さえ伴っているものですから、可能な限り早く薬 物療法を開始すべきです。
  薬物療法は抗精神病薬が中心になりますが、どの薬剤を選択するかは、患者の過去の治療歴からどの薬剤がどのような反応や副作用があったかによってきま す。ほとんどの患者は経口薬を好みますが、服薬遵守ができずに再発を繰り返している場合はデポ剤の使用を考慮すべきです。
  薬物療法による副作用は長期的な服薬遵守の妨げになる傾向があるため、用量は症状を軽減できなおかつ嫌な副作用の出ない量でいくべきでしょう。嫌な副 作用が出ていないことを確認しながら用量を通常量まで増量していきますが、多くの場合効果が見られるまで2〜4週間は必要です。この期間は忍耐強く待つこ とが大切であり、性急に不必要な薬剤増量をすべきではありません。通常抗精神病薬の1日量は、ハロペリドール(セレネース)にして5-20mg、ペルフェ ナジン(PZC)にして16-64mg、アリピプラゾール(アビリファイ)にして10-30mg、オランザピン(ジプレキサ)にして10-30mg、クエ チアピン(セロクエル)にして300-800mg、リスペリドン(リスパダール)にして2-8mgくらいになるでしょう。

  薬物療法には抗精神病薬の他にベンゾジアゼピン系抗不安薬が随伴する不安や興奮を軽減するために使用されることがありますし、抑うつ症状を伴っている 場合には抗うつ薬を併用することもあります。また攻撃性・暴力性の軽減を目的に気分調整薬(炭酸リチウムやバルプロ酸、カルバマゼピン)やベータ遮断薬が 使用されることもあります。

  急性期には精神的な安静を促し過度な刺激を遠ざけることが勧められます。またこの疾患についての知識を患者や家族に伝えることも役立つでしょう。

  急性期治療により安定化してきたら、そのままの処方を最低半年は続けることが勧められます。この期間に用量を減量したり止めたりしてしまうと症状再発 につながる危険性が極めて高いため勧められません。

3.再発予防治療

  維持療法期での治療目標は症状寛解(あるいは軽減)を維持し、社会的機能や生活の質を維持・向上させることです。症状が落ち着いているこの期間には、 多くの患者には家族療法・心理教育、作業所やサポート雇用、SST、認知行動療法などの心理社会的介入が役立つでしょう。
  再発予防のために抗精神病薬の継続は強く勧められます。錐体外路症状が出やすい第1世代抗精神病薬を使用している場合は、振えや身体の動きのぎこちな さが出ない程度の用量が勧められます。第2世代抗精神病薬はほとんど錐体外路症状なく十分に効果的な用量を使用することができるでしょう。用量を減量する 上では、副作用の軽減と再発危険性の増大を天秤にかけることになりますが、一般的に言えば、再発を防ぎ症状の安定化を優先した方が良いでしょう。
  抗精神病薬による治療によって陽性症状はかなり軽減するか、場合によっては完全になくなることもあります。しかし多くの患者では陰性症状が残るために 認知機能の低下や対人関係機能の低下が残ります。

  ほとんどの患者は抗精神病薬による予防を中断すると再発します。しかし現在までのところ、再発するほとんどの患者と再発しないで行ける少数の患者を見 分けることはできません。このため維持療法の必要性について患者とよく話し合うことが必要でしょう。もし、強い希望により維持療法を中断するのであれば、 再発の早期発見のサインなどについて話し合うことが必要です。過去に何回も再発を繰り返している場合や、5年間に2回以上再発してしまっている場合には、 ほぼ一生涯にわたる維持療法が勧められます。

  維持療法の間も、随伴する抑うつ症状に対しては抗うつ薬を使用することがありますし、気分の変動に対しては気分調整薬を使用することがあります。また 強い不安や不眠に対してベンゾジアゼピン系抗不安薬・睡眠導入剤を併用することもあります。

4.統合失調症の治療において特に考慮すべき幾つかの事項

(1)初発ケース
  統合失調症の初発はできるだけ早期に発見し治療すべきです。初発ケースのほとんどは治療に対して良好に反応し、70%が3,4ヶ月程度で寛解し、 83%が1年以内に落ち着きます。初発ケースでは薬物療法への治療的な反応も、副作用もともに出やすい傾向があるため、慢性期の患者よりも少ない用量で済 むことが多いです。再発した場合の臨床的・社会的損失を考えると、寛解後の再発予防治療は重要であり、患者にも家族にも十分な教育が必要です。

(2)陰性症状
  陰性症状に類似した症状が抗精神病薬の副作用で生じていることもありますし、抑うつ症状から生じていることもありますし、不安・緊張から生じているこ ともありますから、それらの可能性をよく検討して適切に対応すべきです。本当の陰性症状(欠陥症状)に対して科学的に効果を示されている治療はありませ ん。

(3)抑うつ症状
  統合失調症では急性期でも慢性期でも抑うつ症状の合併が珍しくありません。急性精神病状態の時に生じる抑うつ症状は全体像が改善すると一緒に良くなる ことが多いです。この点で抗精神病薬には随伴する抑うつ症状を改善する効果があることが知られており、比較すると第2世代抗精神病薬の方がこの点ではより 効果的です。抑うつ症状があまりに強く苦痛を引き起こしている場合には、抗うつ薬の併用を考慮しても良いでしょう。

(4)自殺関連行動
  統合失調症には自殺の危険があります。危険因子としては、男性であること、独身であること、社会的に孤立していること、家族歴に自殺があること、物質 乱用を合併していること、抑うつ症状があること、生活ストレスがあること、若いこと、病前の社会的機能が良かったこと、知能が高かったこと、病識がしっか りあること、などがあります。しかし、こうした危険因子だけで自殺を予測することは不可能です。抗精神病薬の使用により自殺の危険性が減少するかもしれな いことが示唆されてはいます。 


※小羽医師によるコメント 
 どの抗精神病薬を使うかという判断は、ほとんどがどのような副作用が問題か、どのような副作用なら許容範囲内か、という考え方になります。多くの点で、 副作用的にはいわゆる「第2世代抗精神病薬」の方が古い「第1世代抗精神病薬」よりも圧倒的にすぐれています。このため日本でも多くの臨床医は第2世代抗 精神病薬をお勧めすることが多いと思います。第2世代抗精神病薬は厚労省が十把一からげにして「糖尿病注意」を注意していますが、食欲が増したり肥満を引 き起こしたりメタボリック症候群のリスクをあげる程度は薬剤によって全然違いますし、第1世代抗精神病薬にはそのような副作用がないものでもありません。 確かにオランザピンには相当にこのメタボリック系の副作用が強いのですが、リスペリドンやクエチアピンはそれほどでもなく、アリピプラゾールにいたっては 全然ないことが分かっているのです。そこまで分かっていながら厚労省が全ての第2世代薬を「糖尿病注意」としてしまっているのは、怠慢以外のなにものでも ない気もするのですが、これは厚労省の昔からの体質でありすぐにどうこうできるものではないでしょう。
 近年米国でCATIEと呼ばれる大規模研究がなされ、薬価がケタ違いに高い第2世代薬は本当に第1世代薬に比較してそんなにも優秀といえるのか?という 検証がなされたことがありました。結果は意外に第2世代薬の優秀さを証明できないものでした。そうではあっても、個々の患者さんが自分で薬を飲んで実感す れば、副作用が少ないことがどれだけ良いかということはお分かりになることが普通だとは思います。あとは、副作用の少なさと値段の高さを「お買い得」と見 るか、「高すぎるから安いので良い」とするかは、考え方の問題しょう。
 精神療法(心理社会的介入)については、患者さん本人に対する自立生活技能・対人関係技能訓練SSTや家族に対する心理教育・家族SSTなどが高い 効果のあることが示されていますが、その他の精神療法的なアプローチ(一般的なカウンセリング、精神分析的精神療法、力動的家族療法、催眠療法など)の有 用性は不明であり、少なくとも一般的には積極的に勧められているものではありません。また漢方や特別な食事療法などの民間療法も効果は不明であり、少なく ともそ れらの不確かな治療のために、より有効性の確認されている本当の治療を遅らせるべきではありません。
 
 

2.うつ病(大うつ病)

1.うつ病の治療の総論

  うつ病の治療には、うつ病症状の寛解をもたらすことを目的とした急性期治療、寛解を維持継続する継続期治療、そしてうつ病になりやすい傾向を持った患 者を再発しにくくすることを目的とした維持療法があります。うつ病の治療を行う精神科医は、抗うつ薬などの薬物療法に熟知し、幾つかの精神療法的なアプ ローチに習熟し、電気けいれん療法やその他の治療法について使えなければなりません。どのような設定で治療を行うか(外来通院でいくか?入院をするか?入 院するとすれば開放病棟でいけるのか?閉鎖病棟を使用すべきか?等)を決定する上で、患者の安全を確保しながら、なおかつ最も効果的に症状を改善すること を考えて行くべきです。

 うつ病の治療においては、すべてのケースにおいて、十分な診断と病状評価を行い、患者本人や周囲の人の安全性を考慮し、社会生活機能の低下がどの程度あ るのかを評価し、治療の設定を決定し、治療を患者と共同して行う治療関係を構築し、患者や家族に疾患についての教育を行い、治療をしっかりと継続できるよ うに促し、再発の徴候に対応できるようにしていくこと、などは必須でしょう。

2.急性期治療 acute phase treatment

  うつ病の急性期治療を始めるにあたって、一般的な精神科的な対応に加えて、先ずは薬物療法を行うのか、精神療法にするのか、電気けいれん療法を行うの か、あるいはその組み合わせをしていくことを選ぶのか、を決めなくてはなりません。どの治療法を選ぶかは臨床症状による判断と、患者自身の好みを合わせて 考慮していかなくてはならないでしょう。

(1)抗うつ薬を中心とした薬物療法
  重症度が中等度のうつ病に対しては、もし患者が受け入れれば、抗うつ薬を中心とした薬物療法が先ずは選択されるでしょう。また軽症のうつ病に対して も、電気けいれん療法を使用するまでもない重度のうつ病に対しても、抗うつ薬は使用すべきです。但し、妄想などの精神病症状を伴ううつ病の場合には、抗う つ薬+抗精神病薬の組み合わせか、または電気けいれん療法の使用が勧められます。

  抗うつ薬には幾つもの種類がありますが、その有効性はほとんど変りません。このため、どの薬剤を使用するかという問題は、ほとんどが副作用がどのよう なものが予想されどのようなものを避けたいのか、患者本人がどの薬剤を好むのか、コストがどれくらいか、という問題になってきます。
  それらを考慮した上で、ほとんどの場合には、選択的セロトニン再取り込み阻害薬SSRIs(パロキセチン;パキシル、フルボキサミン;ルボックス、 サートラリン;Jゾロフト)、ノルトリプチリン;ノリトレン、ベンラファキシン(類似の薬剤が日本ではミルナシプラン;トレドミンとしてあります)などが 良いでしょう。多くの精神科医は安全性と副作用の少なさからSSRIsを処方するでしょう。
  抗うつ薬は副作用の出現の有無を見ながら、1週間から数週間で有効量にまで増量してゆきます。パロキセチンであれば20mgから始めて20-60mg (日本では40mgまでしか保険診療では認められていません)、フルボキサミンであれば50mgから始めて50-300mg(日本では150mgまで)、 サートラリンであれば50mgから始めて50-200mg(日本では100mgまで)、ノルトリプチリンであれば25mgから始めて50-200mg(日 本では150mgまで)が通常量です。
  抗うつ薬の効果が出るのには2週間以上かかりますが、6〜8週間見ても全く改善がないようであれば、治療法の再検討を行うべきでしょう。

(2)精神療法
  重症度が軽症または中等度のうつ病の場合にはうつ病に対して効果を認められている幾つかの精神療法(認知行動療法や対人関係精神療法)を考慮しても良 いでしょう。患者が精神療法を好むかどうかが重要な決定因子となります。一般的に精神療法が勧められるのは、うつ病でも背景に心理的なストレスが明らかに あること、内的な葛藤があること、対人関係の葛藤があること、パーソナリティー障害が合併していること、などの場合です。
  中等度から重度のうつ病があり、背景に心理的な問題があったり、対人関係の問題があったり、パーソナリティー障害を合併している場合には、抗うつ薬を 主体とした薬物療法に精神療法を組み合わせることを考慮しても良いでしょう。また、精神療法だけや薬物療法だけでは治療に対する反応が十分ではないケース についても考慮すべきです。

  うつ病に対する精神療法としては、認知行動療法と対人関係精神療法がその効果を最も良く立証されています。精神力動的精神療法が使用されるのは、単純 な症状軽減だけを目的とするのではなく、より広範囲の問題を改善することを目的にしています。どの精神療法を選ぶかは、患者がどの精神療法を好むかという ことと、特定の精神療法についてしっかりとした経験を持った治療者が近くにいるかどうか、ということで決定されるでしょう。効果を確認されている精神療法 の多くは週1回から週数回の頻度で定期的に行われるものです。
  4〜8週経過しても何の変化もないようであれば、治療方法の再検討が必要でしょう。

(3)電気けいれん療法
  重度のうつ病であり生活機能が非常に障害されてしまっている場合や、妄想などの精神病症状が合併していたり、亜昏迷になってしまっている場合には、電 気けいれん療法を考慮すべきです。患者に強い希死念慮があったり、拒食を続けているために脱水や栄養障害がある場合など、症状を早期に改善しなくてはなら ない切迫した事情がある場合にも、電気けいれん療法は適応になります。

3.継続期治療 continuation phase treatment

  症状が寛解してから16〜20週間は症状再燃を予防するための治療が必要です。抗うつ薬を中心とした薬物療法で寛解した患者は、同じ薬物療法を継続す べきです。一般的には、急性期で使用したのと同じ用量を継続期にも使用すべきです。精神療法については、継続期に続けるべきかどうかの科学的根拠が少ない のですが、それでも続けた方が良さそうであることが示唆されています。

4.維持療法 maintenance phase treatment

  これまでに何度も再発を繰り返してきた患者、重症度がひどかった患者、そして維持療法を希望する患者には、再発を予防することを目的とした維持療法を 考慮しなくてはなりません。一般的に、急性期や継続期で有効であった治療方法をそのまま維持療法でも続けるべきです。抗うつ薬も急性期や継続期で使用した のと同量の十分量を使用すべきであり、減量した場合に効果としてどうなるかはしっかりと研究されていません。
  認知行動療法や対人関係精神療法では、維持療法での面接頻度は落とす(月1回くらい)のが通常です。
  維持療法での通院頻度は患者がどのような治療を受けているかで違ってきます。通常の精神科一般診察であれば2,3ヶ月に1回でも良いかもしれませんし (日本では保険診療の制度上、月1回よりも頻度を落とすことはできません)、精神力動的精神療法を行っている場合には週数回の通院頻度もありうる話です。
 
※小羽医師によるコメント
 うつ病に対する薬物療法として抗うつ薬だけでは効果が不十分な場合には、「強化療法」と言って日本では「躁病」にしか保険適応の通っていないリチウム製 剤を追加することがあります。リチウムを追加することで効果があった場合、その後の維持療法でもリチウムの用量は急性期に使用した用量を維持すべきであっ て減量することは好ましくないことを示唆する研究もあがっています。抗うつ薬もリチウム製剤も急性症状が寛解した後のいわゆる再発予防治療において用量を 減量する医師も多いですが研究による科学的根拠はそうしない方が良いことを示唆しており、APAの治療ガイドラインもこれらの研究結果に従った形になって います。
 精神療法については、海外特に米国での研究で最もよく調べられているのが認知行動療法と対人関係精神療法であり、そのどちらともだいたい同じくらい効果 的であることが示されています。両方とも週1回45分から50分の定期的な治療面接を行い、今現在の患者さんの対人関係認知のスタイルなどを中心に扱って いくという点が共通しており、事実面接記録を比較した大規模研究では実際の治療者と患者とのやり取りはどちらの治療法でそう大差がないことも示されていま す。治療効果に大きな差のないわけです。しかし、日本においては週1回約1時間もかける精神療法にかかるコストの方が薬物療法を主として行う治療のコスト よりも圧倒的に高いために、単純なうつ病に対してこうしたフォーマルな精神療法を使用していくことはあまり多くはないのが実情です。


3.躁うつ病(双極性障害)

1.双極性障害の治療総論

  現在までのところ、双極性障害を根治させる方法はありません。しかし治療により双極性の症状を軽減することはできます。先ず最初は、患者の診断と病状 評価を行い、治療を行うのに最も適した治療セッティング(外来通院でいくか? 入院を考慮するか? 入院とした場合に開放病棟でやれるか? 閉鎖病棟が必 要か? など)を決定することになります。そして、患者との治療に対する共同体制を構築し、精神症状を見てゆきながら治療を進め、双極性障害についての教 育を行い、治療にしっかりと取り組む生活を整えることを援助し、増悪を早期に発見し、こうして社会的機能の障害を可能な限り生じさせないようにしてゆくの です。

2.急性期治療

(1)躁病あるいは躁うつ混合状態に対する急性期治療
  重症の躁病あるいは躁うつ混合状態に対する第一選択の薬物療法は、炭酸リチウム+抗精神病薬またはバルプロ酸+抗精神病薬です。重症度が中等度以下で ある場合には、炭酸リチウム単独、バルプロ酸単独、あるいはオランザピン(ジプレキサ)などの抗精神病薬単独でも良いかもしれません。治療初期に短期間だ けベンゾジアゼピン系抗不安薬を併用することもあり得る話です。躁うつ混合状態に対しては、炭酸リチウムよりもバルプロ酸の方がより良いかもしれません。
  抗精神病薬を使用する時には、第1世代抗精神病薬よりも第2世代抗精神病薬の方が副作用の点で優れており、オランザピン(ジプレキサ)やリスペリドン (リスパダール)などが有効性を確認されています。
  炭酸リチウムやバルプロ酸の代わりにカルバマゼピン(レキシン)を使用することもあります。
  抗うつ薬が併用されている場合には、可能であれば使用を中止していくべきです。また心理社会的介入は、もし使用されることがあるにしても、薬物療法と 併用すべきです。

  通常の維持療法を行っていたにもかかわらず、躁病や躁うつ混合状態を再発してしまった場合(ブレークスルー)には、先ずは薬物療法の用量を再検討する ことです。この場合には、抗精神病薬の追加や再開が必要となることもあります。非常に興奮や混乱が激しい患者の場合には、短期間だけ鎮静目的でベンゾジア ゼピン系抗不安薬を併用することあるでしょう。

  もし上記の第1選択の薬物療法で十分に症状コントロールが達成できない場合には、また別の第1選択の薬物療法を追加することが勧められます。カルバマ ゼピンや抗精神病薬を追加したり切り替えたりすることも考慮します。電気けいれん療法は重症あるいは治療に反応しにくい躁病状態であったり、患者が希望す る場合には考慮できるでしょう。また電気けいれん療法は重症の躁うつ混合状態や妊娠期間中の治療(多くの気分調整薬は特に妊娠の第1三半期に使用すると催 奇性があるからであり、電気けいれん療法は妊娠中でも安全に実施することができるからです)にも使えます。

  幻覚や妄想などの精神病性の症状を伴っている躁病や躁うつ混合状態については、通常は抗精神病薬を併用します。

(2)うつ病状態に対する急性期治療
  双極性障害におけるうつ病状態に対する第1選択の治療は炭酸リチウムです。抗うつ薬の単独使用は勧められません。重症度が高い場合には、炭酸リチウム +抗うつ薬の併用を使用する場合もあります。亜昏迷状態にあり脱水や低栄養があるため生命の危険があったり、自殺の危険が高かったり、幻覚や妄想などの精 神病性の症状を伴っている場合には、電気けいれん療法も考慮されるべきです。また妊娠中の重症うつ状態に対しても電気けいれん療法は考慮すべきです。
  単極性のうつ病に対しては認知行動療法や対人関係精神療法などの精神療法の有効性が示唆されていますが、双極性障害に起ってくるうつ状態に対しては薬 物療法と併用する形での精神療法を考慮しても良いかもしれません。精神力動的精神療法の有効性については明らかではありませんが、薬物療法と併用するので あれば良いでしょう。

  通常の維持療法を行って予防していたにもかかわらずうつ状態を再発してしまった場合には、先ずは薬物療法の用量を再検討すべきです。十分な用量の第1 選択薬を使用してもうつ病症状が良くならない場合には、パロキセチン(パキシル)やその他の抗うつ薬を追加するオプションもありです。うつ病症状が重症で あったり、亜昏迷や精神病性の症状を伴っていたり、治療に反応しない場合には、電気けいれん療法を考慮すべきです。

  双極II型障害(うつ病相が目立ち躁病相がはっきりしないもの)は双極I型障害に比較して、抗うつ薬を使用した場合に躁転してしまう可能性は低いと見 られていますから、双極II型障害の場合には、抗うつ薬の使用をより早い時点で決断することもできるでしょう。

(3)急速交代型に対する急性期治療
  1年間のうちに4回以上の躁うつの波を繰り返すものを「急速交代型」と呼びます。急速交代型は背景に甲状腺機能低下症やアルコール関連障害がある場合 がありますので、それを調べ治療することも考えるべきです。また抗うつ薬の使用など一部の薬物療法は、急速交代の誘因となっていることもあり得る話である ため、可能であれば抗うつ薬は止めた方が良いかもしれません。
  急速交代型に対する第1選択の薬物療法は炭酸リチウムやバルプロ酸ですが、多くの患者では幾つもの薬剤の併用療法が必要になってきます。

3.再発予防のための維持療法

  症状が寛解した後も、特に半年間は再燃の危険性が非常に高いと考えるべきです。躁病エピソードの後でも、双極II型障害においても、再発予防のための 維持療法が強く勧められます。
  維持療法における第1選択薬は炭酸リチウムやバルプロ酸ですが、カルバマゼピンなどもあり得るオプションです。いずれにしろ、一般的には急性期のうつ 病相や躁病相で効果のあった薬物を引き続き使用すべきです。

  急性期治療において抗精神病薬を使用した場合は、寛解してからの再発予防治療においても抗精神病薬を続けるべきかは再検討が必要です。抗精神病薬は急 性期治療が終わってからも引き続き幻覚や妄想などの精神病性の症状が残っていたり、あるいは気分の波のコントロールに必要である場合だけ、使用を続けるべ きでしょう。第2世代の抗精神病薬は双極性障害の再発予防にも有効でありそうなことが示唆されていますが、炭酸リチウムやバルプロ酸よりも優れているとい えるかどうかは未だ不明です。
  
  症状が寛解している維持療法期には、精神療法などの心理社会的介入が、双極性障害との付き合い方の問題や対人関係の問題など、随伴する幾つかの心理的 諸問題の解消に有効かもしれません。

 
※小羽医師によるコメント
 躁うつ病に対する心理社会的介入としては、患者さん本人や家族に行う心理教育などが効果があることは示されていますが、いわゆる一般的なカウンセリング の治療効果は不明であり、少なくともより確かな効果があることが分かっている薬物療法などより優先すべきではありません。
 なお、「気分調整薬」という薬剤分類は日本にはなく、リチウムなどは「抗躁薬」ということになっています。そのせいか、患者さんの中にはリチウムは躁病 の薬であってうつ病期にはよけいに気分が沈むと勘違いしている人が比較的大勢いますが、そうした考え方は基本的に正しくありません。同様に、躁病急性期に はしっかりとした用量の気分調整薬を使用するのに維持療法に入ると減量してしまったり、うつ病相では減量したり中止したりすることをする臨床医もいます が、この治療ガイドライン上ではこうしたやり方は疑問があるわけです。事実、維持療法においてリチウムを減量すると、有意に再発率が高くなってしまうこと が研究によって示されています。 
 最近、幾つもの研究で、躁うつ病においては周囲の人や医療関係者の注意をより強くひく躁病相よりもうつ病相の方が本人にとってはより重大な問題となる傾 向が高いことが示唆されています。特に双極II型障害と呼ばれる躁病相のはっきりしない躁うつ病においては、場合によっては難治性のうつ病と見なされてい たり、反復性のうつ病と見なされていたりして気分調整薬を使用されず、その意味で不適切な治療が続いてしまっているケースも少なからずあるようですから注 意が必要です。
 
 

4.パニック障害

1.パニック障害の治療総論

  パニック障害には広場恐怖を伴うものも伴わないものもありますが、いずれにしろ慢性化しうる可能性もあり生活に重大な支障を及ぼしうる疾患です。
  パニック障害の治療は包括的に行い、不安発作の頻度と重症度を軽減し、生活上の苦痛や不便を低減することが目標になります。
  パニック障害に対して比較的十分な効果を証明されている治療法には、認知行動療法などの精神療法と薬物療法があります。また一部の患者には力動的精神 療法が薬物療法や認知行動療法などと組み合わせる形で勧められることもあります。

  ほとんどの場合、パニック障害の治療は外来通院で行うことができ、入院を要するよなことはほとんどありません。まれに入院を要する場合としては、自殺 の危険を伴ううつ病を合併していたり、アルコールなどの物質乱用があり断酒目的などのために入院を必要とする時などだけでしょう。
  患者によっては不安発作などで救急外来を受診したりします。内科的な疾患が除外できた後で精神科的な診断を行うことになります。

  診断・評価においては、何らかの内科的な疾患や物質乱用がパニック発作の誘因や背景になっていないかどうかを調べることが重要です。また、心理的な葛 藤やストレスとしてどのようなものがあるか、対人関係はどうであるか、一般的な生活状況はどうであるか、を評価することも重要でしょう。

  治療を開始するにあたって、一般的な精神科的対応は必要であり重要です。つまり、治療に対する患者と治療者との共同体制をつくること、パニック障害に ついての知識を伝え安心を与えること、症状を経時的に観察してゆくこと、社会機能の障害がどの程度あるかを評価していくこと、家族やその他の者と協力して いくこと、患者が治療をしっかり遵守することができるように促すこと、再発に対して早期に対処できるように援助すること、などがあります。パニック障害で は少なからず再発したり、症状寛解が不十分であったりして慢性化することがあるために、また一部の患者では強い見捨てられ不安があるために、安定した治療 関係は非常に重要です。

  パニック症状に焦点づけられた認知行動療法等の精神療法と薬物療法がパニック障害の治療の中心になります。精神療法と薬物療法のどちらがどのような種 類の患者に優れているかということについての決定的な根拠はまだありません。このため個々のケースで、その有効性、利点・欠点、安全性、費用、などを考慮 したうえで、患者自身の好みによって精神療法にするのか薬物療法にするのかを決めていくことになるでしょう。いずれにしろ、どのような治療法が実際に入手 可能なのか、それぞれにどのような利点と欠点があるのか、といったことを十分に話し合って決めてくべきです。

2.精神療法

  パニック障害に特化された認知行動療法は幾つかのコンポーネントからなり、そこには通常、パニック障害についての心理教育、不安発作を経時的に自己モ ニターしていくこと、不安対処スキルを練習していくこと、認知的な歪みを再検討していくこと、そして曝露療法が含まれてきます。これらのコンポーネントの どれが、どのような種類の問題やどのような種類の患者により必要なのか、そうではなのか、といったことはまだ詳細には分かっていません。認知行動療法はそ の有効性について多くの科学的根拠があり推奨されるものですが、その他の精神療法も組み合わせ療法として使用されることもあるでしょう。但し、6週間から 8週間を見ても目立った効果がないようであれば、認知行動療法との併用(あるいは切り替え)または薬物療法との併用を考慮すべきです。

3.薬物療法

  パニック障害に対して有効性を確認されている薬物療法には4種類のものがあります。選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRIs)、三環系抗うつ 薬、ベンゾジアゼピン系抗不安薬、モノアミンオキシダーゼ阻害薬(MAOIs)です。以上の薬物療法はだいたい同じ程度の効果を示しています。どの薬物療 法を選択するかは、それぞれの副作用、費用の問題を含めた患者の好み、その他の問題の合併などによって決まってくるでしょう。
  ほとんどの場合が選択的セロトニン再取り込み阻害薬が、その副作用の少なさと効果の高さから勧められることになるでしょう。つまり、選択的セロトニン 再取り込み阻害薬は性機能障害などの副作用の可能性はあるものの、心血管系への副作用がないこと、抗コリン作用がないこと、過量服薬してしまっても安全性 が高いこと、などの利点があるからです。またベンゾジアゼピン系抗不安薬にありがちな薬物への精神的依存も形成しません。ただ、一般的に選択的セロトニン 再取り込み阻害薬はジェネリック医薬品もなく薬価が高い傾向があります。
  三環系抗うつ薬の副作用は多くの患者にとって耐えられるものではありますが、選択的セロトニン再取り込み阻害薬ほど軽くはありません。また老人や内科 的疾患を合併している患者の場合、心血管系への副作用や抗コリン作用の問題は考慮しなくてはなりません。
  ベンゾジアゼピン系抗不安薬は効果発現が早いため、症状を急速に改善することが必須の場合(例えば、患者が学校や会社を辞めそうになっている場合や、 入院を要する状態になってしまっている場合など)には勧められるかもしれません。しかし長期に渡って使用すると精神的な依存を生じやすいため慎重にすべき でしょう。また物質乱用の既往がある場合には一般的には使用すべきではありません。
  モノアミンオキシダーゼ阻害薬は有効性はありますが、高血圧発作を起すリスクや食事制限をしなくてはならない面倒さから、他の治療法でどうにもならな い場合にだけ使用されうるものです。

3.治療期間

  認知行動療法を使っても、薬物療法を使っても、急性期治療はだいたい12週間で終わります。

  認知行動療法を使用舌場合、その後患者の状態が安定化し続けていれば、多くの治療者は認知行動療法の頻度を下げ、治療を終了していきます。患者の症状 が再燃した場合に2回目の認知行動療法をして効果があるのか、あるいは認知行動療法を継続することで再発予防効果があるのか、といったことは未だ不明で す。

  薬物療法を行った場合、12〜18ヶ月間再発予防治療を継続した後に、患者の状態が十分に安定化していれば、薬物療法の中止を試みてみても良いでしょ う。しかし、多くの患者がその後再発することになるため(薬物療法を中止した後再発しないでいるのは30-45%と見られています)、より長期に渡る維持 療法が必要になることもあります。再発してしまった場合には、再び薬物療法を開始するか認知行動療法を始めることになるでしょう。
  治療を開始して6〜8週間経過しても改善が見られない場合には、その診断や治療方法の再検討が必要です。薬物療法や認知行動療法によって期待される改 善がない場合や、何度も再発を繰り返している場合には、力動的精神療法やその他の精神療法の併用を考慮すべきでしょう。

4.ベンゾジアゼピン系抗不安薬の問題

  認知行動療法にしても、抗うつ薬を中心とした薬物療法にしても、効果発現までには数週間を要します。不安発作が頻繁で重症であったり、予期不安があま りに強い場合には、ベンゾジアゼピン系抗不安薬を併用することで助けになることがあります。しかし、このような理由でベンゾジアゼピン系抗不安薬が使用さ れる時でも、精神的な依存を生じるなどの問題があるために、使用量は最小限にし、使用期間も最小限に抑えるべきです。

 
※小羽医師からのコメント
 パニック障害に限らずいわゆる「不安障害」に対して認知行動療法は比較的よく有効性が立証されている治療法です。認知行動療法はその名の通り「認知」コ ンポーネントと「行動」コンポーネントから成り立っているのですが、これまでの研究では「行動」コンポーネントの方がより基本的であり重要であることが示 唆されてはいます。パニック発作を頻繁に起こすようになると、外出をしたり急行電車に乗るなど「発作が起こったら困ってしまう」状況に身を置くことを患者 さんは避けるようになるのですが、こうした回避行動をできるだけ徐々に止めさせていくことがこの障害の克服に重要そうではあるのです。
 その他には「パニック障害に焦点づけられた精神力動的精神療法」なども効果があることが実証されています。
 このAPAの治療ガイドラインは日本では非常に広く行われているベンゾジアゼピン系抗不安薬を中心とした治療には反対の立場をとっています。これはある 意味非常にもっともな話であって、本文中に指摘されている精神的な依存性の他に、抗不安薬を「頓服薬(=不安になったら頼る薬)」としてしまうと、今度は これが一種の回避行動になってしまい本当の意味の克服を遅らせることになりえるからでもあります。
 いわゆるパーソナリティー障害にパニック障害が合併していることは非常によくあります。治療ガイドラインで「精神力動的精神療法を考慮して良い場合があ る」と言っているのはこのタイプの患者さんのことであって、その場合は確かに薬物療法や認知行動療法によってパニック発作の問題自体はある程度コントロー ルできても、その背景にあるより重大なパーソナリティー障害を治療の対象として扱っていかないことには、その人の治療全体としては不十分だということにな るでしょう。
 なお、どういうわけか、パニック障害という病名は患者さん自身の判断では比較的よく間違って自己診断されています。パニック障害と似たような症状を呈し てしまう疾患は精神科疾患の中にはたくさんありますし治療法は疾患の種類によって異なってきますので主治医とよく相談しながら治療していくべきでしょう。
 
 

5.摂食障害(拒食症、過食嘔吐症、過食症など)

(1)はじめに
 摂食障害の患者さんは拒食症かあるいは過食症かあるいはそのどちらかよりの症状を持っていることが多いです。以下のガイドラインでは拒食症と過食症につ いて考慮していかなくてはならない要因を含めて議論しており、こうした包括的な治療アプローチが必要になります。
 まずは治療セッティングを決めるために患者さんの状態を評価することが大切です。拒食症の場合の最も重要な身体的状態評価は体重と心機能・代謝機能で す。入院を必要とするかどうかは、精神科的症状の程度、問題行動の程度、そして内科的要因を考慮しなくてはなりません。急激で頑固な拒食が続いている場合 や、外来治療を続けていても体重が減少を続けてしまう場合や、感染症などでさらに摂食量が減ってしまう場合や、内科的に危険な状態になることが分かってい る体重まで減少してしまう場合や、精神科的合併症があり行動上の不安定さや希死念慮がある場合などには入院治療が考慮されることになります。
 過食症については、ほとんどの場合入院を要することはありません。しかし、外来治療ではコントロール困難な重度の問題がある場合、代謝・電解質異常など の内科的合併症を起こしている場合、希死念慮など精神科的状態が不安定である場合などには入院を考慮することにもなるでしょう。

(2)拒食症に対する治療
 拒食症に対する治療の目的は、健康的な体重を取り戻すこと、拒食によって起こってきている内科的な合併症を治療すること、健康的な摂食行動をとれるよう になるよう患者さんを動機づけていくこと、健康的な栄養や摂食行動についての教育を行うこと、摂食障害に関連した認知の歪みや感情の問題を修正していくこ と、情緒不安定や自己評価の低さなどの精神的な問題を治療すること、家族に対するサポートと必要であればカウンセリングを行うこと、そして再発を予防する ことがあります。
 
 重度の体重減少がある場合は栄養リハビリテーションが必要になります。健康的な体重になるまで適切なスピードで増加していくべきです。これは入院治療に おいては1週間に1kg程度が適当でしょうし、外来においては1週間に0.4kg程度が適当でしょう。食事量は最初30〜40kcal/kg/day(多 くの患者さんでは1000kcal〜1600kcalになります)から開始し、次第に増量し70〜100kcal/kg/dayまで増加させて体重増加を 図り、その後体重が健康的な体重に達したら維持量としては40〜60kcal/kg/day程度が適当となるでしょう。またビタミンや電解質(特に低リン 酸血症になることが多いのでリン酸は重要です)を補充することも必要でしょう。この時期には内科的に状態をモニターすることは重要であり、バイタルサイ ン、イン・アウト、電解質、胃腸症状、心機能などを評価します。またこの時期に身体イメージの問題や体重増加に関する不安などを扱い摂食障害症状の危険性 などを教育していくことは必須です。
 
 患者さんと治療者との精神療法的な関係性は大切です。体重が増加してきたら定期的に行う精神療法が役に立つでしょう。現在のところ、どの精神療法がどれ よりどの程度優れているか、あるいは劣っているかは不明です。精神療法的なアプローチには精神力動的な葛藤や、認知的な発達、心理的防衛、家族関係の問題 などに対する理解、その他の精神科的問題に対する対応などが必要です。こうして行われる個人精神療法は少なくとも1年は継続すべきですし、5,6年かかる ことも考えるべきです。
 
 拒食症の治療を薬物療法だけでしようとするのは間違っています。薬物療法として抗うつ薬を使用すべきかどうかは、低栄養状態による精神症状が落ち着いた 後で考慮すべきです。抗うつ薬は体重が元に戻った患者さんが再発するのを予防する目的や、抑うつ症状や強迫症状といった拒食症に伴いやすい精神科的問題を 治療することを目的に使用されることがあります。
 
(3)過食症の治療
 摂食障害に関連した問題行動や不適切なダイエットを減らし、バランスのとれた食生活や健康的で過度にならない運動を促していくために栄養学的なカウンセ リングは役に立つ可能性があります。
 また患者さん個別の問題を十分に包括的に評価したうえで、認知的・心理学的発達、精神力動的な問題、認知スタイル、合併している精神科的問題、患者さん 自身の治療の好み、などを考慮して心理社会的介入としてどんなものを選択していくかを決めます。最も科学的根拠のそろっている心理社会的介入は認知行動療 法ですが、対人関係精神療法も同様に有効そうであることも示されています。また食事計画や自己モニターなどの行動療法的なアプローチも有用でしょう。過食 や嘔吐などの行動が改善されてきたら、精神力動的精神療法や精神分析的精神療法(個人療法でも集団療法でも)なども有用でしょう。拒食症や重大なパーソナ リティー障害を伴う場合には長期にわたる精神療法が必要になるでしょう。
 可能な場合、特に患者さんが未成年で家族と一緒に生活していたり、成人していても家族との重大な葛藤が続いている場合には、家族療法も考慮されるべきで しょう。
 
 多くの患者さんにとって治療初期には抗うつ薬は有効です。中でも選択的セロトニン再取り込み阻害薬SSRIは安全性も高く、抑うつ症状、不安症状、強迫 症状、衝動コントロールの問題のある患者さん、あるいは精神療法だけでは十分な反応のなかった患者さんに有用でしょう。その他の抗うつ薬も過食や嘔吐など の症状を軽減するのに有効であり、また症状の寛解している患者さんの再発を予防するのにも有効です。
 三環系抗うつ薬やモノアミンオキシダーゼ阻害薬MAOIも使えることは使えますが、自殺企図の可能性の高い患者さんには注意して使用すべきですし、食事 制限の必要性のあるMAOIは食行動が安定しない過食症の患者さんにも注意すべきです。
 最近の研究結果によると抗うつ薬と精神療法の併用はより寛解を成功させる率が高く、それゆえ過食症の治療初期においては考慮されるべきです。
 
※小羽医師によるコメント
 摂食障害は極めて高率にパーソナリティー障害を合併することが分かっており、約5割から8割の患者さんが何らかのパーソナリティー障害を合併していま す。拒食症は回避性人格障害や強迫性人格障害が多く、過食症は境界性人格障害や回避性人格障害が多くなりますが、いずれにしろパーソナリティー障害を合併 していない方が少ないのです。このため心理社会的介入(精神療法・カウンセリング)は摂食行動の異常が治まったらもう終わりと考えるべきではなく、合併し ているパーソナリティー障害による「生きにくさ」を治療していかないと片手落ちになってしまいます。
 摂食行動の異常そのものに対して有効性が示されているのは認知行動療法と対人関係精神療法であり、その両者は今現在の対人関係認知の問題に焦点づけられ た個人療法を週1回(あるいはそれ以上)1時間程度かけて行っていくという点で共通しています。この治療ガイドラインであえて力動的精神療法や精神分析的 精神療法について言及しているのは、先に述べたようにかなり高率にパーソナリティー障害を合併するからという事情があります。最近、摂食障害に対して弁証 法的行動療法(この治療法については境界性人格障害の項で出てきます)が有効であるという研究がでましたが、これも摂食障害においては高率に境界性人格障 害やその他の衝動コントロールの障害を伴うことを考えると、なるほどというところでしょう。

6.境界性人格障害(情緒不安定性人格障害)

(1)はじめに
 境界性人格障害は臨床場面ではもっともありふれたパーソナリティー障害です。この障害は自覚的な辛さが強いこと、社会機能が障害されてしまうこと、自殺 企図などの自己破壊的な行為を高率に行ってしまうこと、そして自殺の危険性が高いこと、などが特徴です。境界性人格障害に対しては包括的な治療アプローチ が必要です。この治療ガイドラインでは境界性人格障害の治療を考える上で必要な治療オプションと考慮すべき重要な因子について見ていきます。
 
 精神科医はまずはどのような治療セッティングで治療を行うかを決定しなくてはなりません。この障害においては自傷行為や自殺の危険が高率なため、どのよ うに患者さんの安全を図るかを優先的に考えなくてはならず、そのための臨床評価を十分に行うことが必要です。それによって入院治療にするか外来治療でやっ ていくかを決定します。治療開始の時点から明確で具体的な治療の枠組みを決めていくことが重要であり、また治療目標についても治療者と患者さんが合意して いる必要もあります。
 
 境界性人格障害に対する中心的な治療は精神療法であり、これにこの障害に伴う個々の症状を標的にした薬物療法が併用されることもあります。どのような治 療アプローチがなされるにしろ、患者さんの安全性を考慮しモニターしていくこと、治療の枠組みをしっかり保っていくこと、障害についての教育や治療を提供 していくこと、複数の治療からなる治療構造を統合していくこと、病状の改善をモニターしていくこと、治療計画の有効性について評価を重ねていくこと、など からなる精神科的マネージメントが必要です。
 境界性人格障害に対しては特定の精神療法や特定の薬物療法の有効性が示唆されていますが、そのどれがどれよりも優れているかは不明です。しかし患者さん がパーソナリティー的に永続性のある改善を得て、対人関係の問題や社会的機能を改善していくためには長期にわたる精神療法が必要であることが示唆されてい ます。薬物療法はあくまで追加的な役割であると考えるべきですが、情緒不安定、衝動性の問題、精神病様反応、自己破壊的行動などの症状の軽減に役立ちま す。精神療法と薬物療法の併用が、そのどちらか一方だけを行った場合に比べてより有効なのかどうかは研究的には確認されていませんが、臨床的には多くの患 者さんがこの併用が有用であろうと考えられています。
 
(1)精神療法
 これまでの研究により精神分析的精神療法(精神力動的精神療法)と弁証法的行動療法DBTという2つの精神療法が科学的な有効性を確認されています。今 のところどのような患者さんがどちらの治療法により合うのかといったことは分かっていません。短期精神療法の効果を調べた研究はないため確かなことは言え ませんが、少なくとも1年以上は治療を続けないことには目立った改善はないだろうことが示唆されていますし、多くの患者さんは1年以上の治療が必要になる でしょう。
 精神療法を進めていく上で、どのような治療法であっても共通した治療的要因はあるようです。共通因子として、できるだけ強い治療同盟をつくっていくこと や、自己破壊的行動や自殺関連行動などをしっかりモニターし扱っていくことが含まれます。また患者さんの感じる苦痛に対してもっともな点はもっともだと認 めていくこと validationや、患者さんに自分自身の行動の責任はとってもらうようにしていくことなどもあります。境界性人格障害の患者さんにはそれぞれに強み や弱みがあるので治療を柔軟に行っていくことは重要です。有効な精神療法に共通している点はこの他に、感情をコントロールしていくこと(患者さんもそうで すが治療者自身もです)、衝動的な行動にでるのではなく自分の気持ちをしっかり見つめていくこと、患者さんが分裂 splittingと呼ばれる防衛様式・認知様式に陥る傾向を少なくしていくこと、自己破壊的な行動に対して限界を設定していくこと、などがあります。
 集団療法を用いるときは通常個人精神療法に組み合わせて行います。夫婦カウンセリングの有効性は不明ですが、少なくともそれのみを治療に選択すべきでは ありません。家族療法の有効性も不明ですが、心理教育的なアプローチは有用であることが示唆されています。いずれにしろ家族療法だけを唯一の治療に選択す べきではありません。
 
(2)薬物療法
 急性症状がある場合に対症療法として薬物療法が使用されることがありますし、境界性人格障害のもともとの性格的問題を軽減するためにも使用されます。境 界性人格障害に見られる症状は、情緒不安定、衝動コントロールの問題、認知的な歪みの症状、などにわけて考えられます。
 
 境界性人格障害の患者さんには、気分の変わりやすさ、拒絶される・見捨てられることへの過敏さ、不適切で過度な怒り、抑うつ気分、感情の爆発などの情緒 不安定症状があり得ます。これらの症状はまず選択的セロトニン再取り込み阻害薬SSRIや類似の抗うつ薬であるセロトニン・ノルエピネフリン再取り込み阻 害薬SNRIで治療すべきです。三環系抗うつ薬の効果についての研究は一定の結果がでていません。不安症状が強い場合はSSRIだけでは症状軽減が十分に できないことがあり、この場合ベンゾジアゼピンの併用を考慮しても良いのですが、この薬剤の効果についての科学的根拠は乏しく依存性や脱抑制などのリスク があるために注意すべきです。
 情緒不安定症状が怒りの爆発などの形で出ている場合でもSSRIが第一選択薬になります。重症の行動化がある場合には低用量の抗精神病薬を併用すること も臨床的にはなされています。
 モノアミンオキシダーゼ阻害薬MAOIも有効性が認められていますが、その副作用や食事制限の必要性から第一選択とはなりません。また有効性についての 研究は乏しいのですが、リチウムやバルプロ酸やカルバマゼピンなどの気分調整薬も併用されることがあります。電気痙攣療法の有効性についての研究も乏しい ですが、基本的には薬物療法に抵抗性の重症うつ病を合併している場合にのみ考慮すべきです。
 
 境界性人格障害の患者さんには、衝動的な攻撃性、自傷行為、不特定多数とのセックスや違法薬物の使用などの危険行為をするなど、衝動コントロールの問題 があることがあります。この場合もSSRIが第一選択薬になります。衝動行為のために患者さんに重大な危険が考えられる場合は低用量の抗精神病薬を加える ことも考慮されて良いでしょう。リチウムによる強化療法も有効性がありそうです。バルプロ酸やカルバマゼピンなども衝動コントロール症状に対して使用され ますが、その有効性の科学的根拠は乏しいままです。まだ確定的ではありませんが非定形抗精神病薬(オランザピンなどの第二世代抗精神病薬)は衝動コント ロールの問題に対して幾分かは有効そうであることが示唆されています。
 
 境界性人格障害の患者さんには、対人関係的な疑り深さ、関係念慮、やや妄想的な考え方、離人感、幻覚様症状などの認知的な歪み症状があることがありま す。これらの症状に対しては低用量の抗精神病薬が第一選択になります。低用量の抗精神病薬はこれらの認知の歪み症状を軽減するだけでなく、随伴する抑うつ 症状や衝動性や怒りなどの症状も改善することがあります。
 
※小羽医師によるコメント
 境界性人格障害は極めて治療が難しく患者さん側にとっても治療提供側にとっても非常に大変な治療的作業が必要なため、「治らない」と考えている人も少な くありません。しかしこのガイドラインにもあるように、これまでの研究によると、少なくとも精神分析的精神療法や弁証法的行動療法については有効性が確認 されています。両方とも驚くほど治療内容に共通点がありガイドラインが指摘することの他に、(1)治療者・患者関係に起こってくる問題(これを精神分析的 精神療法では「抵抗」と呼び、弁証法的行動療法では「治療阻害行動」と呼びます)を最優先して扱っていくこと、(2)過去の問題ではなく今現在の問題を優 先して扱っていくこと、(3)明確でしっかりした治療の枠組みがあること、(4)患者さんの側の問題だけでなく治療者側の問題も患者さんの問題を理解し介 入をしていくうえでの対象にしていくこと、などが含まれています。
 それ以外の精神療法についての効果は不明であり、催眠療法、一般的カウンセリング、などの使用を勧める根拠はありません。


7.老人性認知症(老人性痴呆症)


1.老人性認知症の総論

  認知症(痴呆症)の患者は様々な認知機能の低下症状や精神や行動に表れる周辺症状を伴ってきますし。これらの症状が本人や家族などの大きな負担になり ます。
  認知症は基本的に進行性の疾患ですから、治療の内容も進行度合いに合わせていく必要があります。診療を行う精神科医は、それぞれの進行段階で生じてく る精神的な問題、身体的な問題を見つけ、対処していくとともに、今後生じてくるであろう問題について患者や家族に伝え準備を促していかなくてはなりませ ん。

  認知症の治療を行うにあたっては、総合的な検査と臨床的な評価が必要です。せん妄を起こしている場合には特に内科的な問題の合併を見つけ治療していく ことが大切でしょう。
  継続的に経過を観察していき認知機能の低下や周辺症状の有無、そしてそれらの症状の治療への反応性を見ていくことが必要です。このためフォローアップ のための通院は最低でも3ヶ月から半年に1回は必要でしょう。さらに、自殺や自傷他害の危険性、暴力・衝動行為、虐待、などの切迫した問題がある場合には もっと頻繁な診察や入院が必要になることもあるでしょう。
  患者と家族には軽度の認知症においてでさえ交通事故の危険が上昇する事実を伝えるべきです。軽度の認知症であっても自動車の運転を控えたり、場合に よっては止めるように勧める事が必要かもしれません。
  さらに、認知症に伴う幾つもの問題について患者や家族に情報(支持団体、ショートステイや入所施設などの福祉制度、成年後見などの法的な問題などにつ いての情報)を提供することも重要です。多くの患者が最終的には長期療養型の施設に入所することになります。

2.認知症に対する特異的な治療法

  一般的な精神科治療の他に、認知症に対して効果がある可能性のある心理社会的介入も幾つかあります。
  行動療法的な方法によって、主には原因と結果の行動分析を行うことと環境調整を行うことによって、いわゆる問題行動を減らすことができるかもしれませ ん。
  レクリエーション療法、芸術療法、音楽療法、ペット療法など楽しみの刺激を与える方法は患者の行動や気分に良好な影響を与えることができる可能性を示 唆されています。
  認知症や老いに伴う喪失感に対しては支持的精神療法が使えるでしょうし、想起療法も情緒的な安定に対して良好な影響を与える可能性があります。
  しかし現実検討訓練や認知訓練、スキル訓練などの認知機能を練習によって高めようとする方法は無効なばかりか不満感を高めることになり勧められませ ん。

3.認知症に対する薬物療法

  認知症に伴う幾つかの症状に対して薬物療法が幾分かの効果を示すことがありますが、老人においては薬物の体内動態が若い人とは違うので注意が必要で す。ここに他の新t外疾患の合併があったり、数種類の薬剤を併用していたりすると、さらに複雑化します。このため認知症を抱えた老人は、薬物療法による抗 コリン作用、立ちくらみ、眠気、パーキンソン症状、などが出やすくなります。それゆえに、認知症に対して薬物療法を使用するときには、少量からはじめ、 ゆっくり増量し、服薬が間違いなく確実にできているかを確認しながら進めていくことが必須です。

  アルツハイマー型痴呆でも軽度から中等度のものについては、コリンエステラーゼ阻害薬(ドネペジル;アリセプト)が有効なことがあり、この治療を行う ことの意味やリスクを十分に話し合った上で使用を考慮しても良いでしょう。パーキンソン病に伴う認知症やレヴィー小体病による認知症にもコリンエステラー ゼ阻害薬は有効です。しかし脳血管性認知症に対する効果は不明です。

  その他、ビタミンE療法、非ステロイド性抗炎症剤、高コレステロール血症治療薬であるスタチン製剤、女性ホルモン補充療法、などは無効であり勧められ ません。

4.周辺症状に対する薬物療法

  幻覚妄想などの精神病症状や興奮などは認知症にしばしば随伴します。こうした問題の治療にあたっては、患者本人と家族の安全性・危険性を十分に考慮す ることが必要でしょう。もし、環境要因やその他の身体疾患要因があるのであれば、まずはそれを改善すべきです。そして興奮の多くは本人に対して安心させる 声かけをすることや、気をそらしてあげることで鎮まることがあるため、こうした環境的・行動的な方法によって対処することを優先すべきです。それでも対処 できない場合や、本人や周囲の人にとって危険や苦痛が大きすぎる場合にのみ薬物療法を考慮すべきでしょう。

  これまでの研究による科学的根拠から抗精神病薬は認知症に伴う幻覚妄想などの精神病症状や興奮に対して一定の効果があることが示されています。ただ、 抗精神病薬の使用は老人の場合、重症の副作用を伴うこともあり、死期を早めてしまうことさえあります。このため抗精神病薬を使用するときには効果を発揮で きる最低量を慎重に使用すべきであり、使用することのメリットとデメリットを家族に十分に伝えるべきです。

  ベンゾジアゼピン系抗不安薬は、しばしば随伴する不安や興奮に対して使用されることがありますが、副作用として眠気、認知機能のさらなる低下、せん妄 の誘発、転倒リスクの増大などの問題があります。

  リチウムやその他の気分調整薬やベータ遮断薬は(これまでの研究で幾分かの効果が示唆されてはいたものの)精神病症状や興奮などに対する効果の根拠は 少なく、他の治療が無効であった場合の最後の手段としての使用以外は勧められません。

5.抑うつ症状に対する治療 

  抑うつ症状は認知症の患者にしばしば随伴します。抑うつ症状は環境調整や楽しみ刺激を増やすことで改善する可能性もあるでしょうし、抗うつ薬を使用し ても良いでしょう。どの抗うつ薬を使用するかは個々のケースによるでしょうが、選択的セロトニン再取り込み阻害薬SSRIsが副作用の少なさから勧められ ることが多いです。抗コリン作用の強い三環系抗うつ薬(アミトリプチリンやイミプラミンなど)は避けるべきです。
認知症に伴う意欲の低下に対するしっかりした根拠のある治療はないですが、神経刺激剤やブロモクリプチンなどが役立つことはありそうです。

6.睡眠障害に対する治療

  認知症に不眠症は多いですが、まずは日中の活動を促したり睡眠環境を調整すべきであり、それらではうまくいかないときにのみ睡眠剤の使用を考慮すべき です。これまでの研究ではトラゾドン(デジレル)やゾルピデム(マイスリー)などの有効性が示されています。ベンゾジアゼピン系の睡眠剤は日中への眠気の 持ち越し、認知機能のさらなる悪化、脱抑制、せん妄などのリスクがあるため勧められません。睡眠作用を期待しての抗ヒスタミン剤は抗コリン作用があるため 勧められません。


※小羽医師によるコメント 
 今回のAPA診療ガイドラインでは認知症に対して薬物療法を行うことについて、ずいぶん慎重な姿勢を勧めています。これは認知症に対する抗精神病薬など の薬物療法の有用性を検証した米国での大規模研究の結果、いわゆる周辺症状に対してそれほど期待されていたほどの有用性を証明できなかったことに加えて、 鎮静作用やその他の副作用から平均余命を縮めてしまう傾向が示唆されたからでもあり、老人施設などの現場で安易に鎮静目的に薬物療法を導入してしまうこと への警鐘となっているわけです。  
 実際のところ、認知症に伴う幻覚や妄想については抗精神病薬の少量投与が有効な場合が確かにありますが、それ以外の理由による「怒りっぽさ」「不隠」 「粗暴傾向」などについては介護者の対応の仕方を工夫するなどの行動的介入を行った方が良いことが分かっていますし、薬物療法で大幅改善が期待できるもの でもないのです。  
 一般の人の中には、いい加減なマスコミ報道を信じて認知症は認知訓練や薬物療法で「治る」と思っている人がいますが、はっきり言うと間違いです。認知症 は現在までのところ治せない疾患なのです。