傾聴と介入の作業
Listening and Intervening Process
- Dr.Xの臨床ディスカッション -
制作:医師 小羽 俊士
こば心療医院
もくじ
第1章 潜在内容と顕在内容
第2章 治療者の介入としての枠組み
第3章 傾聴から介入へ
第4章 初回面接
このコンテンツは力動的精神療法の中でも、特にcommunicative
approachと呼ばれている独特の傾聴・介入技法(1)について、実例を交えてご説明し、ご紹介するものです。読者の対象としては、専門家あるいはこ
れから専門家になろうとしている方々を想定しています。
精神力動的精神療法とは、ここでは治療者・患者間の実際の面接内でのやり取りを通じて患者の内的葛藤・対人関係的葛藤を解決していこうとする方法を指し
ます。このように定義すると、「行動療法」とされるLinehanのDialectic Behavior
Therapy(2)にも治療者・患者関係を充分に扱うことが主要な治療コンポーネントの1つになっていることから、これも「精神力動的精神療法」と見る
ことも出来るわけです。しかし、これからご紹介するcommunicative approach
を含めて、いわゆる「精神分析的精神療法」がその他の「精神力動的精神療法」と明確に分けられる点は、前者では傾聴の技法の中に、患者が顕在的に表現して
はいない、潜在的なメッセージを読みとってゆき、それを介入の仕方に反映させるという重大な違いです。
では、実際にどのように、患者のコミュニケーションから潜在的なメッセージを読みとり、それを介入の仕方に反映させるのかといった技法的なことを、これ
から臨床ディスカッションの形式でご紹介しようと思います。
以下のディスカッションに出てくる人物「Dr.X」は全くの架空の治療者でありますし、参加者、プレゼンターも、発表される症例も架空のものです。しか
し現実の臨床的な経験にもとづいたものであり、実際の臨床を経験している専門家の方は、多くの患者が実際にこのようなコミュニケーションをしてくることに
同意されると思います。
参考書:
(1) Langs, R. "Psychotherapy: A Basic Text" Jason Aronson
(2) Linehan, M "Cognitive Behavioral Treatment of Borderline
Personality Disorders" Guilford Press
第1章 潜在内容と顕在内容:傾聴のレベルの違い
<ケース検討>
Dr.X:この臨床ディスカッションの中では、皆さんが実際に持っておられるケースを出していただき、患者さんがどのように皆さんにコミュニケーションし
てくるか、皆さんがそれをどう捉え、どう考え、どう行動するかを一緒に考えていきたいと考えています。皆さんと患者さんとのやりとりは、できるだけ逐語的
に提示してください。私を含め、他の参加者の方は、できるだけ中立的な気持ちで、つまり昔Bionが勧めたように、余計な私たち側の欲望も、記憶も、理解
しきってしまうこともないよう、注意しながら傾聴していきましょう。
さて、今日は誰がプレゼンテーションしていただけますか?
プレゼンター:私です。
Dr.X:では、さっそくケースに入りましょう。先ずは、どんな治療セッティングの中での治療なのか、そしてどのように今日ディスカッションするセッショ
ンに入ったのかをお話しください。どんなコミュニケーションも、バックグランド抜きには見ることができませんし、文脈あっての内容ですから。
プレゼンター:はい。患者は18歳の心理系の大学に通う女子大生で、情緒不安定、強い空虚感や抑うつ気分、希死念慮、などの症状があって、境界性人格障害
の診断で、総合病院の精神科外来で週1回45分の面接でお会いしている人です。私は臨床心理士ですから、この面接の依頼は外来担当医のM先生から来たもの
でした。また、患者は私との定期面接の他にM先生の面接も受けていますし、そこで抗うつ薬などの処方も受けています。
Dr.X:我が国では、臨床心理士が単独で患者に関わることはそう多くないのが実状です。ですから、このケースのように1人の患者に2人の治療者が、1人
は担当医として、1人は心理士として、関わることは希ではありません。しかし、非常にしばしば見逃されている点ではありますが、こうした2人治療者の問題
が患者の治療プロセスにあまり良くない影響を与えることがあります。今回プレゼンテーションされるケースで、その問題が出てくるかどうかは分かりません
が、これから患者からのコミュニケーションを見ていくことができるでしょう。さらに投薬を受けているというバックグランドもあります。これも患者にとっ
て、どのように見られているか、健康的な治療に必要なものなのか、反治療的に作用しているものなのかを注意深く見ていく必要があるでしょう。では、ケース
に戻りましょう。
プレゼンター:今日プレゼンテーションする前のセッションでは、患者は第3者が侵入してくることへの嫌悪感をテーマに話していました。実はその前の面接の
時に、別の患者が間違えて面接室に入ってきてしまった出来事があったのです。患者は、その別の患者と知り合いでもあり、すごく嫌悪感を感じたこと、私との
関係を何か邪魔されていると感じてきたことを話したのでした。その面接時間の始まりにはドアがしっかり閉まっているかどうかをわざわざチェックして見せた
ほどでした。
Dr.X:どう考えますか?まだ実際のセッションには入っていませんが。
プレゼンター:え?そうですね、別の患者が間違って入ってきただけで、私との関係を邪魔されていると感じるというのは、ちょっと妄想的な感じとり方かもし
れません。つまり、パーソナリティー的な特徴ですが、対人関係の出来事を、やや被害的に、妄想的に感じとりやすい傾向があることを示唆していると思いま
す。
Dr.X:他にはないですか?
参加者:この患者さんにはご兄弟がいますか?
プレゼンター:ええ、います。弟が1人です。
参加者:他の患者に入ってこられた出来事に対する感じとり方は、もしかすると、患者が昔家庭の中で、弟が出来たときに感じた感情の繰り返しかもしれませ
ん。
Dr.X:他にはないですか?うん、今あげられた2つの考え方はどちらもそれなりに仮説としては持っておいても良いかもしれません。しかし、例えば患者が
被害的・妄想的になることについても、例えば過去の家庭環境に関連した思い出を思い出す事があるにしても、そうなった現在の文脈あるいは今ここでの治療
者・患者関係の背景を考えないわけにはいきません。
患者からのコミュニケーションをまだ詳細に聞いていない今の段階では、軽い仮説の1つにしかすぎませんが、治療者・患者関係に第3者が入ってきているこ
とを思い出す必要があるでしょう。つまり、外来担当医である、処方医である医師の存在です。もしこの2人治療者制の問題が患者の治療プロセスを大きく阻害
しているのであれば、患者が「邪魔されている」と感じたとしても、全然被害的・妄想的ではないのです。実際、治療者・患者関係は理想的には1対1関係であ
るべきであり、ここに外来主治医とはいえ第3者が入ってくることは、今ここでの治療者と患者のやりとりを非常にやりにくくする場合があります。精神療法の
基本的なルールである「プライバシー」と「守秘性」という枠組みが逸脱されるからです。先生はカルテに詳細な面接記録を残す方ですか?もしそうであるな
ら、この問題はなおさら大きくなるでしょう。
さて、この仮説が当たっているかどうか、そして2人治療者制が患者の治療プロセスを阻害しているかどうかについては、これからの患者のコミュニケーショ
ン素材の中に見ていくことができるでしょう。では、プレゼンテーションを続けてください。あなたは、治療者としてどのように介入しましたか?
プレゼンター:患者はその間違えて面接室に入ってきた別の患者に対して、配慮に欠けること、患者の気持ちを全然分かってくれないことなどに対する怒りや傷
つきの気持ちを話しましたので、私はその気持ちを、患者がこれまで両親に気持ちをはずされていると感じてきたことに関連づけて、つまり両親の
empathic failure の問題に関連づけて解釈しました。
Dr.X:いわゆるgenetic
interpretationという介入の仕方ですね。患者の連想を、過去の両親との関係の問題などの原型に関連づけて返すものです。一般的に言うと、こ
の種の介入はあまりすべきではありません。なぜなら、すでに立てたような仮説が正しかった場合、つまり患者が今現在傷つけられているのが治療者・患者関係
の中にもう1人の治療者という「邪魔者」が入っているということにあるのであれば、これを扱わず、両親による過去の傷つき体験を引き合いに出すのは、とん
だ責任逃れをしていることになりかねません。患者が自ら面接室のドアがちゃんと閉まっているかどうかをチェックして見せたのは、いわゆる「修正モデルの提
示」という象徴的なやり方だと見ることができます。つまり、「先生は私が実演して見せているように、しっかりこのプライベートな空間を閉じたものにすべき
だ。邪魔をする第3者であるM先生を入れないようにして欲しい。」と言っている可能性があるわけです。そうしないでいるのは先生の責任だと患者は感じるこ
とでしょう。
さて、この介入の仕方で良かったのかどうか?患者は先生の介入に対してどのように反応しましたか?
プレゼンター:患者は「先生だけが分かってくれる」と言い、自分も私のような患者の気持ちをよく分かる心理士になりたい、と話しました。しかし、自分がそ
んな仕事についたら、患者の気持ちをはずしてしまい、患者を死にたいくらいに落ち込ませてしまうかもしれないから、やめておいた方が良いかもしれない、と
も言いました。続けて、一番最初にこの病院にかかった時に、外来担当医のM先生の診察を受けた時の話をして、患者がどれほど辛いかを必死に話したのに、M
先生は「あ、そう」というように軽くとっていたようなので悲しくなり、失望し、自殺をしようと思ったことを話しました。そして時間の終わりになりました。
Dr.X:ここまでの話から、何を聴きましたか?そして聴いたことから、どのように介入すれば良かったでしょうか?
参加者:実際に面接の中で別の患者に入られてしまうという嫌なことを経験したのですから、両親との関係に関連づけなくても、その現実的な出来事に対する嫌
な気持ちに共感すべきだったのではないでしょうか?
参加者:この患者には「先生だけが分かってくれる」と言うなど、治療者を理想化する傾向が見られます。また治療者と同じ職業につきたいこと、こうした同一
化の傾向もあります。患者は診断的には境界性人格障害ではなく、自己愛性人格障害なのではないでしょうか?そう考えると、患者が「先生のようになりたい」
と述べている気持ちはもっと受け入れ認めてあげた方が良いように思います。
Dr.X:問題は、患者の話をどのようなレベルで聴くか、ということのようです。皆さんが言われてきたご意見は、患者の話を顕在的なレベルで聴いていま
す。つまり文字どおりの意味に受け取っているのです。しかし、これからの素材の流れで示されていくことになると思いますが、こうしたタイプの患者のコミュ
ニケーションは、多かれ少なかれ今ここでの治療者・患者関係の文脈によって影響され、現在の治療者・患者関係の問題を象徴的に表現するような内容になるこ
とが多いのです。それを「潜在内容」とか「派生的コミュニケーション」などと呼びますが、私たちの傾聴という作業では、これをしっかりと読みとって行かな
くてはなりません。患者の話が象徴するのはどんなことですか?治療者の介入、ここではいわゆるgenetic
interpretationですが、その後で出てきた患者の話にはどんなテーマやイメージ性がありますか?「先生だけが分かってくれる」というのは顕在
的な、表面的な反応です。その後でどんな話が出てきていますか?
参加者:患者の気持ちをはずしてしまい、患者を抑うつ的にさせてしまう心理士の話です。続けて、患者のコミュニケーションを軽んじてしまい、患者を死にた
い気持ちにさせる精神科医の話も出てきています。
Dr.X:その通りです。どういう意味ですか?
プレゼンター:つまり・・・、私の介入の仕方が、患者の気持ちをはずしてしまい、患者のコミュニケーションを軽んじていた、だから死にたい気持ちにさせら
れてしまう・・・ということですか?
Dr.X:あくまで仮説ですが、残念ながらその可能性があります。もう少しセッションに残り時間があったら、患者はもう少し詳細な意味を象徴的に示してく
れたかもしれません。どんな風に治療者が介入の仕方を誤ったか、をです。しかし実際のセッションでは、ここで終わっているんですね?
プレゼンター:そうです。そして今日ここに出そうと思っていたのが、次のセッションです。
参加者:ちょっと待ってください。でも、実際に患者は担当医M先生との初診の面接で傷つけられたのは事実でしょうし、何も今さっきの治療者の介入の仕方が
患者を傷つけたと考えなくても良いんじゃないでしょうか?
Dr.X:そうです、それは事実でしょう。しかし患者がその特定の過去の体験を今ここで思い出したからには、何らかの背景があるのです。そんな体験を思い
出させるような、治療者・患者関係の問題があるからなのです。患者にはいろいろな悩み、内的葛藤、対人関係の葛藤がありますが、治療面接の中で患者が一番
無意識的に気にしているのは、だから象徴的な話題に出てきやすいのは、今現在の治療者との関係のあり方なのです。
参加者:私には週1回しか会わない治療者との関係が、患者の生活の中でそんなに大きな位置を占めているとは、なかなか思いにくいんです。
Dr.X:もっともな疑問です。でも、私は患者の日常生活の中で、全てを含めて治療者との関係が一番大事で、患者の一番の関心事になっているとは言ってい
ません。面接の時間に、面接室の中で、治療者を前にした時に、一番の関心事になる可能性が高いと言っているのです。いずれにしても、この仮説はあくまで仮
説で良いですので、患者からのコミュニケーションの続きを見ていきながら、この仮説が当たっているかどうかも見ていきましょう。では、続きをどうぞ。
プレゼンター:では、その次の週の面接に入ります。患者は、「M先生との約束の面接がすっぽかされた」といって始めました。患者はM先生が両親と会って話
す前に患者としっかりとした面接で話をしてから、という約束になっていたのに、それをすっぽかしてすぐに家族面接に入ってしまったことに怒っていました。
患者はM先生が謝りもしないし、患者がこれほど気にしていることを、M先生の方は全然気にしていないようであったのが、なおさら腹立たしかった、という話
をしました。
Dr.X:どうですか?患者は何を訴えようとしていますか?
参加者:患者の必死の訴えを治療者がすっぽかしたことを話しています。これは、もしかすると、前回のセッションで治療者が患者の必死のコミュニケーション
をすっぽかし、するべき介入をしなかったことを象徴しているのかもしれません。
Dr.X:そうですね。この手のすっぽかしのテーマは、「介入のし損ない」の非常によくある象徴です。その他に「介入のし損ない」でよくある象徴は、電話
をかけても通じないこと、呼びかけても反応がないこと、惚けてしまって理解力をなくした老人の話などがよく見かけるものです。この素材から他にはありませ
んか?
参加者:第3者が入っている面接というテーマが出てきています。患者との2人きりの面接よりも第3者を入れた面接を優占させている、という話です。
Dr.X:そうです。この患者はかなりコミュニケーション能力の良い患者のようです。何度も、何度も、治療者が気づくまで根気よく何度も繰り返し、比較的
分かりやすい象徴を用いて、治療者・患者関係に存在する問題を提起してくれているようです。しかし、治療者はこのような質の良いコミュニケーションをいつ
も期待して良いわけではありません。患者によっては早々にあきらめて無意味な素材しか出さなくなることがありますし、あまりに長く患者の期待を裏切ってし
まい続けていると、そのうち行動化に出る可能性が高まります。実際、境界性人格障害など行動化する傾向が強いと言われている患者群においても、多くの場合
は治療者が患者からの素材になかなか気づけず、必要な介入をしないでいることによって引き起こされているケースが非常に多いのです。さあ、これだけ繰り返
し出てくる素材を聴いて、治療者はそろそろ介入するでしょうか?
一般に治療者が介入するのに必要な患者からの素材のコンポーネントがあります。先ず、患者が治療者・患者関係のどんな出来事に反応しているかを示唆する
ものです。幸い、今の時点で、患者はM先生のことを顕在的にも言及しています。次に、その出来事に対して患者がどのようにそれを感じ取り、どのように反応
しているかを象徴的に表現しているイメージが必要です。前回のセッションでは侵入してくる別の患者という話で表現されていました。しかし、一般にセッショ
ン内で出された素材以外は使用するべきではなく、前回のセッションで出されたイメージを今回のセッションで持ってくるわけにはいきません。そこで、もう少
し待って患者の話の中にそうした象徴的なイメージを含んだ話が出てくるかどうかを見ていくべきでしょう。
さて、実際のセッションではどうしましたか?
プレゼンター:私はもう少し黙って聴き続けました。患者は家族面接には両親そろって来るはずだったのに、父親は仕事の都合で来られなくなってしまった、そ
のことでもがっかりした、自分はその程度の存在なのかと感じた、という話をしました。そこで、私は介入して、「お父さんにもすっぽかされたように感じたん
だね」と言い、患者にとってはこれほど大事なことを、両親にはどうでも良いことのように、いい加減に扱われているようであることが辛かったのだね、と共感
的な理解を伝えました。
Dr.X:どうですか?
参加者:普通に考えたら、大変良い介入だと思います。患者の言っている内容に充分に共感しているように見えますし。でも、もしDr.Xの言われることが当
たっているとすると、つまり、患者が気にしているのは治療者・患者関係にある第3者の存在という問題であって、それを前回のセッションでも患者が象徴的に
話題にしたのに治療者が気づかなかったことに「すっぽかされ」感を感じているのだとすると、この介入はまたしても的はずれということになるかもしれませ
ん。さっきDr.Xがいわゆるgenetic
interpretationについて言われたように、問題を患者と両親の関係のせいにしてしまっている、とんでもない責任逃れだと感じられてしまうかも
しれません。
Dr.X:その通りです。この種の介入の仕方の問題点は、悪いのは患者と両親との関係であって、自分は関係ないのだという態度を暗に示していることにあり
ます。患者のコミュニケーションの顕在内容にだけとらわれていて、治療者・患者関係を象徴する潜在内容を無視しているのです。この治療者の介入に対して、
ですから、私たちはきっと患者はあまり良い反応をしないだろうと予測できるのですが、では、続きを聴いてみましょう。
プレゼンター:患者は別の話題に入って、前回のセッションでも出てきた別の患者Jさんの話をしました。患者とJさんは親しかったのに、Jさんは患者を病人
として見ているのが嫌だ、と。Jさんは自分だって病人のくせに、自分のことは棚に上げて、他人の病気の部分ばかり指摘して、いい気になっている、そんなと
ころが嫌だ、と。・・・ああ、先生のいわんとすることは分かります・・・。
Dr.X:私は何も意地悪で言っているのではないのです。お分かりですね。患者は今の先生の介入を、自分の病理を棚に上げ、人の病理だけを指摘している、
と捉えたのでしょう。そして、それは実際当たっているのです。さあ、この患者は大変面白いです。非常にコミュニケーションのスタイルが優れているのです。
次には何を言い出すでしょうか?
プレゼンター:患者はしばらくこの頃は対人緊張が減ったことなど症状の改善を報告してくれ、しばらく口ごもった後で、「カルテに何が書かれているのかが気
になる」と言いました。そして私が「それはどういうこと?」と聞くと、患者は「M先生は性格が悪いと思う」と言い、私との面接記録の詳細を患者の前で読む
という話をしました。そして患者はそのことをすごく恥ずかしいと感じているのに、そんなことにも気づかず、面白半分に面接記録を読んでいるようであるのが
すごく腹立たしい、と話しました。
Dr.X:これはすごい展開ですね。患者はついに顕在内容的にも治療者・患者関係の問題の核心に切り込んできました。これで私たちの仮説が当たっていたこ
とがお分かりですね。今回のケースでは運良く患者は顕在的に中心的な問題に触れてきていますが、なかなかここまで雄弁になれる患者はいないでしょう。しか
し、注意深く素材を読みとっていれば、患者にここまで恥ずかしい思いをさせずに、もう少し前に必要な介入をすることができたはずなのです。
潜在内容をしっかりと読むことができていない治療者は、患者が顕在的に治療者・患者関係に言及してきてはじめて「転移素材」が出てきたと言います。しか
し、多くの場合それよりずっと前に、ずっと問題が小さい内に、患者は象徴的な潜在的な素材の中に治療者・患者関係の問題を提示してくれているものなので
す。それを察知し扱うことをし損なっていると、そのうち患者は運が良ければ顕在内容で示してくれるでしょうが、運が悪い場合は行動化してしまい、不幸な方
向性を進ませてしまうことになるのです。患者にとっては、「言っても分からないから、行動して見せてやったんだ」ということになります。繰り返しになりま
すが、固定した病理のために行動化するのではありません。病理は行動化しやすい傾向をつくりますが、そこに行動化させるような治療者側の問題があって初め
て行動化するのです。Winnicottは「幼児というものはいない。母親と一緒にいる幼児がいるのだ」と言っていますが、同様に「行動化する患者という
ものはいない。行動化させている治療者と一緒にいる行動化している患者がいるのだ」と考えるべきなのです。
確かに、この患者の病理の中心は自己愛的な傷つきに関するものでしょう。そのため、治療者が患者からの潜在的なコミュニケーションに気づかず、患者の顕
在的な言葉にはならない訴えを軽視して来てしまったという治療者・患者関係を、患者は「自分にとってはこんなに大事なことを、先生は大事に思ってくれない
のだ」という自己愛的なテーマでの傷つきとして体験するのです。治療におけるプライバシーなど患者にとって重要なニーズを治療者が無視していることも同様
に「気づいてくれない、分かってくれない」といった自己愛的な傷つきとして体験されるのです。過去において患者の自己愛を傷つけてきたのは、たぶん家族の
中であり、きっと両親のempathic
failureだったでしょう。しかし現在の治療者・患者関係の中でも、今度は治療者がこうしてempathic
failureを繰り返してしまっていることで、患者の自己愛的な傷つき感を維持し強めているのです。しかし、過去の体験は修正ができませんが、現在の治
療者と患者の関係は、2人の努力次第で修正が可能です。まさに、これが精神療法の治療作用機序であると考えられるのですが、それはまたの機会にご説明する
ことになるでしょう。
実際のセッションはまだ続くのですね?しかし、今日のディスカッションはそろそろ終わりの時間になります。何かご質問はありますか?
参加者:治療面接の中で、患者が一番に気にしてしまうのは今現在の治療者・患者関係にある問題であるとして、たくさんある治療者・患者関係の問題のうち、
どれに対して患者が反応しているのかということは、どのように分かるのでしょうか?例えば、今回のケースでは、治療者が2人いることと、薬物療法を併用し
ていること、それにもしかすると以前の面接で別の患者が面接に入り込んできてしまったことなどの問題や、ディスカッションの中では言及されなかった問題も
あるかも知れないわけですよね。
Dr.X:そうです。患者が治療者・患者関係にあるどのような問題に対して無意識的に反応しているのか、というその問題のことを、「適応文脈」とか「引き
金」という言葉で呼びます。患者からのいろいろな連想は、治療者の言動という「引き金」によって引き起こされた刺激反応系における反応だと捉えることがで
きるからです。しかし、今ご質問があったように、確かに普通の治療者・患者関係には問題になりそうな、患者が無意識的に注目し反応を起こしそうな出来事が
たいてい幾つもあります。ですから、通常は、患者の連想を聴いていく中で、そのテーマ性や象徴の方向性から、治療者・患者関係に起こっているどんな事に患
者が注目しているのかを気づいていかなくてはなりません。例えば、今回提示されたセッションの前の回では、患者は第3者による侵入とプライバシー空間の侵
害といったテーマで話していましたから、これは比較的容易に治療者・患者関係に第3者による侵入があること、つまりは2人治療者制の問題を象徴しているこ
とが気づかれてくると思います。また今回提示されたセッションの最初の方は、「すっぽかされ」というテーマでしたから、治療者による「介入のし損ない」と
いう問題に対して患者が反応していることを示唆していました。このように、基本的にはできるだけ先入観を持つことがないようにしながら、患者の連想が象徴
的に指し示すテーマを見極めていき、それに相当する治療者・患者関係の問題は何なのかを治療者は連想していく必要があるのです。これは最初のうちは大変頭
の中が忙しい作業だと感じるでしょうが、慣れてくればそれほど意識せずに考えていくことができるようになるでしょう。
では、そろそろ時間ですので、ケース検討はこの辺で。
<解説と討議:顕在内容と潜在内容、傾聴のレベルについて>
Dr.X:一般に精神力動的精神療法と呼ばれる精神療法では、治療者と患者の面接内でのやりとり、対人関係を扱っていくことで患者の病理を修正しようとし
ます。つまり、理論的に言うと、患者の中にある内的な葛藤intrapsychic
conflictを、一度治療者・患者関係での対人関係葛藤interpersonal
conflictに移してからそれを修正し、さらにそれを再び患者の中に内在化させることで内的な問題を解消していこうとするものです。患者の内的葛藤を
治療者との対人関係葛藤に移す動きを「投影同一化projctive
identification」と言いますから、時々誤解されているように、投影同一化は決して一部の患者にだけ見られる特殊な病的な防衛様式ではないの
です。さらに、これを理解し修正していく治療者の機能を「受け入れ、消化する機能containing / metabolizing
function」と言う場合があります。これについては、後で潜在内容の象徴的理解について議論するときに、もっと詳しくお話しします。さて、治療者・
患者関係の中で理解し修正されたことを、再び患者はその中に取り入れていきます。これを「取り入れ同一化introjective
identificaion」と呼びますが、これは良くも悪くもそうなります。つまり、治療者が良好に治療的に機能することができた時は、治療的な機能が
患者の中に取り入れ同一化されることになり、患者の病理が解消されより健康的な動きに近づくことになりますが、逆に治療者が反治療的に振る舞った場合、そ
うした悪い機能が取り入れ同一化され患者の病理を強めることになってしまう可能性もあるのです。
さて、一般に「精神力動的精神療法」と呼ばれている治療法でも、良く見るとずいぶん患者の素材の捉え方や考え方に違いがあることがおわかりになると思い
ます。その中でも最も根本的な違いは、患者の出してくる素材をどのようなレベルで理解し、そのようなレベルで介入するかという基本的な姿勢の違いです。私
は、これまで見てきたところ、大きく3つくらいのスタイルがあるような気がしています。
1つは患者にその内的な葛藤を語らせ、それを外側から理解し、共感し、時にその問題点を指摘し修正を促すものです。治療者はあくまで外側から患者の病理
を観察し、患者の語る普段の対人関係パターンから患者の問題を推論し言い当ててみたり、共感的な言葉かけをしたり、批判的に指摘したりします。治療者のス
タンスはあくまで外側からの観察者ですから、治療者・患者関係が積極的に扱われることはありません。おそらく頻度的にはこうした治療スタイルをしている治
療者が一番多いのではないかと思います。精神分析の理論、特に自我心理学的な理論を勉強し、治療者・患者関係に展開する転移・逆転移関係を扱うという基本
技法を学ばすにきた人の多くがこのようなアプローチの仕方をするようです。理論に患者の行動パターンを当てはめ、そこに、例えばエディプス葛藤や、アイデ
ンティティーの問題や、分裂した対象関係の問題や、自己愛的な傷つきなどの問題を読みとろうとするのです。余談ですが、本屋に行けば、多くの心理学関係の
本がこうした幾つもの特定の葛藤のパターンを、あたかもそれがすごく大切な知識であるかのように解説しているのを見ることができるでしょう。確かに、多く
の患者が陥っているこれらの特定の葛藤パターンについて知っておくことは多少問題を整理するのに助けになることがあるかもしれません。しかしそこまでです
し、何より患者本人が持つ問題について、何らかの知識に頼ろうとすると、当の患者本人の問題が見えなくなることがあるので、注意が必要です。いかなる先入
観も知識的な理解も、目の前にいる今このときの患者の状態を捉えることの障害となるのであれば有害なのです。
2つめのものは、患者の訴える顕在的な治療者・患者関係の問題を積極的に扱うことに主眼をおいている治療法です。患者は時に治療者に対して顕在的に不満
や不安を訴えてきますし、時には顕在的にその理由を述べたり、あるいは簡単に推量できる雰囲気を伝えてくることがあります。それらの直接的なコミュニケー
ションを使って、治療者・患者関係を扱い、そこに展開する対人関係葛藤を積極的に解決していこうとするものです。多くの、特に境界性人格障害を扱ってきた
精神力動的精神療法はこの技法を取り入れていますし、本来的には「行動療法」に分類されるはずのLinehan
らが提唱する「弁証法的行動療法Dialectic Behavior
Therapy」も似たようなことをするようです。なぜ境界性人格障害の治療において、この技法が目立って取り入れられているのかというと、皆さん臨床を
している人は充分にお気づきでしょうが、境界性人格障害の患者は頻繁にあからさまに治療に対する不安や不満、つまり「抵抗」を顕在的に表してくるため、こ
れを扱わないわけにはいかないからでしょう。しかし、この治療アプローチでは、顕在的な治療者・患者葛藤は扱われますが、潜在的な葛藤は気づかれることも
扱われることもありません。治療者・患者関係のあり方に照らして、患者の素材を象徴的に理解することをしないからです。しかし今回の臨床ディスカッション
でも見てきたように、患者が顕在的な内容で治療者・患者関係の問題に言及するときはもうずいぶん遅すぎることが多いのです。さらに、ここまで待ってくれな
い患者は多いですし、ここまで雄弁になってくれない患者も多いのです。ですから、顕在的な素材しか見ていないと、知らないうちに患者は治療者・患者関係の
中で充分に傷つけられてしまっていることがありますし、それは多くの場合、その患者のこれまでの対人関係病理の繰り返し、つまり「再演re-
enactment」になっており、より患者の病理を強めることになってしまっている危険があります。しかし、この治療アプローチをする人も非常に多く、
多くの精神力動的精神療法について書かれた書籍や論文を読むと、「転移」という言葉があからさまな、顕在的な、患者から治療者への言及にほぼ限定して使わ
れていることが多いことにお気づきになると思います。
3つめが、私たちのしているアプローチである、患者のコミュニケーションの表側には決してあらわれていないし、患者が意識して組み立てているのでもない
「象徴的コミュニケーション」を、治療者・患者関係のあり方に照らして読みとっていくものです。この傾聴技法は何もそれほど特異なものではなく、精神分析
的精神療法の歴史の中では、Langs、Rosenfeld、Casementなどがその著書の中で多くの実例を出して議論しているものです。つまり、こ
う考えます。患者が面接の中で「自由連想」の形で表現してくる話は、一方では患者の内的な葛藤や心のあり方を象徴するものであるのだけれど、一方では治療
者・患者関係を患者がどのように無意識的に感じとり、どのように反応しているかという対人関係葛藤を象徴しているものでもある、という見方をします。患者
の連想というのは、一種の刺激反応系における反応なのであって、そこへの入力である刺激は、2人の関係の中で治療者がどう振る舞っているかということであ
ると考えるのです。ちなみに、人は自分がおかれた対人関係状況の中で、その関係を象徴するような話をする傾向があるということは、イギリスの認知心理学者
であるHaskellも指摘しています。これを治療的に応用し、治療者・患者関係の問題を、顕在的なものだけではなく、より潜在的なもの、無意識的なもの
にまで拡大しようというのです。んぜなら、人の情緒反応、意志決定、動機付けに決定的な影響を与えているのは、意識されている範囲内の心の動きではなく、
意識されてない部分の動きであることの方が圧倒的に多いからです。
参加者:私は最初自我心理学的アプローチを学んで、次に対象関係論的アプローチを学んだつもりだったのですが、実際の臨床での関わり方は、先生の分類でい
うと1と2が主だったと思います。確かに、患者の語る連想内容から象徴を読みとることはするのですが、それは治療者・患者関係を象徴するとはあまり考えず
に、患者の内的な葛藤の形constellaionを表現しているのだと理解することが多かったと思います。でも、先生のいわれる3つめのアプローチで
は、患者の象徴的な素材、つまり潜在内容を読んでいく時には、つねに今現在の治療者・患者関係のあり方に照らして、それを象徴していると考えて読んでいく
ということになるわけですね。
Dr.X:若干の例外はありますが、基本的にはそうです。潜在内容とはそういう意味なのです。患者の連想を注意深く聴いて、そのイメージ性からテーマを抽
出していくと、次第に患者が治療者・患者関係のどんな問題に注目しているのかを象徴する内容と、それに対して患者がどのようにそれを捉え、反応しているの
かを象徴する内容が見えてくるはずです。そして時には治療者の振る舞いを修正しようと象徴的なモデルを提示してくることもあります。患者に特定の連想を引
き起こさせた治療者側の振る舞いのことを「引き金trigger」あるいは「適応文脈adaptive
context」と呼びますし、その象徴的な表現を含めた患者の反応全体を「派生複合体derivative complex」と呼びます。
参加者:「若干の例外」とはどういうことですか?
Dr.X:今言った「修正モデルの提示」のことです。患者の連想でのテーマは基本的には今現在の治療者・患者関係がどうであるかを象徴していることが多い
のですが、時々「本来治療的であるためには、私と先生との関係はこうでなくてはならないのです」とか「先生はこのように振る舞うべきです」というような内
容を象徴するものが入ることがあります。そのことです。
では、この治療アプローチにおける治療者の役割はどんなことなのか?をこれから議論したいと思います。
患者は自由連想の中で理想的には解釈しやすいような、象徴性の良い形での治療者・患者関係を象徴するテーマを含む物語を出してくること、治療者はそれを
理解して解釈的介入ができることが期待されます。しかし、治療者・患者関係の中でいつでも患者が象徴性の豊かな話を出してくるとは限らないのです。治療者
が、治療者・患者関係をしっかり抱えて安全なものとして、さらに患者から伝えられる意味を大切にする態度をしっかりととり続けていないと、患者はすぐに象
徴的な話をするコミュニケーション様式から離れてしまいます。Langsは象徴的な話が解釈可能な程度に豊かに出てくるコミュニケーション様式をtype
A mode of
communicaationと呼んでいますが、これは患者側だけの傾向ではないのです。治療者の態度によって、患者のコミュニケーション様式は変わるも
のなのです。治療者の重要な役割の1つは、患者にこのコミュニケーション様式をとり続けられるよう、最適な面接空間を用意することです。これは過去に
Winnicottが「抱えることholding」と呼んだ治療者の機能に関係していますし、Bionが「受け入れることcontaining」と呼んだ
機能に関係しています。「抱えること」が幾分情緒的な内容が主であり、「受け入れること」が幾分認知的な内容が主であることはありますが、この2つの用語
はきわめて密接に関連した治療機能を指しています。
適切なtype Aコミュニケーション様式のもとで働く治療機能を阻害するものとして、治療者側からも、患者側からも、type
Bコミュニケーション様式というものと、type Cコミュニケーション様式というものがあります。
Langsの定義するtype
Bコミュニケーション様式とは、情緒的な負荷の高い、しかしその意味的な内容の乏しいコミュニケーションのスタイルであり、一般にかなり強く破壊的な投影
同一化とか、行動化といったコミュニケーションが主になる傾向があります。こうしたコミュニケーションを患者が治療者にする場合、境界性人格障害などの患
者によく見られるものですが、行動の激しさや大変さ、さらに投影同一化されてくる感情の強さから、患者がいかに辛く苦しい気持ちの状態にあるのかは治療者
に充分に伝わってきます。しかし「なぜ」「なにが」「どんなふうに」は通常あまりはっきりとは伝わってこないのです。意味は分からない、しかし非常に辛い
感情だけが治療者の中に投げ入れられることになり、治療者には大変理解しにくく扱い辛いコミュニケーションです。この場合、治療者は気をつけていないと、
つい情緒的な反撃に出てしまい、患者に投影同一化的な攻撃を仕返しすることがあります。多くは直面化や質問などの介入という形をとってなされますが、機能
としては患者にされた投影同一化的な攻撃に対する反撃です。これは治療者側の行動化であり、治療者側のtype
Bコミュニケーション様式です。これをやってしまうと、治療者は患者の心を大きく傷つけてしまうばかりでなく、患者のtype
Bコミュニケーション様式を強化することになってしまい、お互いに投影同一化の応酬を繰り返す泥仕合になります。治療者はこうなることがないように、その
後いつかは患者が意味のあるコミュニケーションをしてくることに期待を失わないようにしていることが大切であり、治療者の重要な機能である「理解するこ
と」を放棄しないようにしていなくてはなりません。こうした治療関係を維持する努力のことを「抱えること
holding」と呼ぶのです。「治療空間をしっかりと抱えること」と言い換えても良いでしょう。
もう1つはLangsの定義するところのtype
Cコミュニケーション様式です。これは、一言で言うと意味の無意味化です。このコミュニケーション様式に入った患者は特徴的には、イメージ性に欠ける、何
の象徴性も持たない、つまらないモノローグのような説明的な話を延々とすることになります。これは治療者・患者関係で生き生きとした関わり合いができるこ
とから引きこもっていることでもあり、実際、type
Cコミュニケーション様式にある患者は時々に「安全な場所に引きこもっていること」、「無意味なことを嗜癖的に続ける引きこもった人」などの象徴を出すこ
とがあります。つまり、象徴的なコミュニケーションには存在する意味のつながりや、治療者と患者の間のつながりや、素材と素材の間のつながりを、破壊し無
意味化することです。この意味で、これはBionの言う「つながりに対する攻撃attack on the
linking」であり、「-K」であるのです。またBionはつながりを形成する機能のことを「Dream Work
Alpha」、もっと簡単に「アルファ機能」と呼んでいますが、このコミュニケーション様式あるいは、この治療者・患者関係は、関係の中に存在する「アル
ファ機能」を破壊するものとも言えます。逆に、治療者は患者からの象徴的な意味のある素材を無視して「介入のし損ない」をしてしまったり、あるいは全く的
外れの介入をしてしまうことによって、患者の伝えようとしている意味を台なしにすることがあります。この場合、治療者が患者の「アルファ機能」を破壊しよ
うとしているのであり、機能的には「つながりに対する攻撃」をしていることになります。これは多くの治療者が意図していることではないでしょうが、非常に
しばしば何らかの理論をもってきて患者に当てはめようとする「決まり文句的な介入」によって実現されてしまいます。さて、この「アルファ機能」という言葉
を使って言うと、治療者の役割の1つは治療者・患者関係の中にあるアルファ機能を保持するよう努力することにあります。
参加者:2つほど質問があるのです。まずは、私は投影同一化は境界性人格障害の患者に、「つながりに対する攻撃」は精神分裂病の患者に特徴的なものだと
思っていましたが、先生はそうではないと言うのですね?
Dr.X:そうです。確かに境界性人格障害の患者はやや強烈で破壊的な投影同一化を多用し、だからひときわ目立つことは多いのですが、投影同
一化はほとんどすべての「神経症」の治療過程において多かれ少なかれ見られるはずのものです。それがなければ、事実上、治療者・患者関係において患者の病
理が展開することもなく、それゆえ治療的な働きかけができるわけがないからです。また、「つながりに対する攻撃」は確かに精神病性の心理的メカニズムを説
明されるのによく使用される概念ですが、精神分裂病に限った心理的メカニズムではないと考えています。確かに、type
Cコミュニケーション様式が隠そうとしている不安は基本的に精神病性のものであるという印象ではあるのですが、これは必ずしも精神分裂病という特定の診断
に結びつくものではないのです。例えば、比較的頻繁にtype
Cコミュニケーション様式が目立つ患者群として、アルコール依存症、何らかの嗜癖系の精神障害、ひどい虐待歴など生育歴的に強い外傷体験のあった患者など
があるように感じています。もう1つの質問とは何ですか?
参加者:先生は「アルファ機能」についても、他のいろいろなことについても、常に「治療者」とか「患者」と分けずに「治療者・患者関係の中の」という言い
方をしますよね。私はアルファ機能は治療者の中にある機能だと考えていたのですが、違うのですか?
Dr.X:治療関係にある治療者と患者は互いに強く影響しあうので、どちらがどうだとは言えないのです。ちょうどLittleが治療者・患者
関係をbasic
unityという言葉で表現し、両者は一体でありどちらがどうだと分けて考えることはできないと言っていることと同じです。Littleは
Winnnicottの弟子であって、彼の影響を強く受けているようなのですが、
Winnicottも「幼児というものはいない、ただ母親と一緒にいる幼児がいるだけだ」というようなことを言っています。この言葉の裏の意味は明らか
で、つまりは治療関係にある患者のことを、治療者と切り離して考えることはできないということです。
また、治療者・患者関係におけるアルファ機能は治療者がその理解と解釈という形で寄与するところもあれば、患者が象徴的な意味のある素材を出してくると
いうことによって寄与している部分もあるのです。逆に、患者が象徴的な意味のない、あるいはすでにある意味まで無意味化するような、治療者の理解力を破壊
してくるような素材を出すことによって破壊されますし、治療者の無意味な介入によって、あるいは介入のし損ないによっても破壊されるわけです。このように
見てみても、どちらかが一方的に提供している機能と考えるべきではなく、むしろ双方の寄与によって成り立っている機能であると考えるべきであることがお分
かりだと思います。
さて、これらの言葉を使って治療者の役割を定義すると、その重要な1つとして、治療者・患者関係において治療空間を抱えていることと、受け入れるものと
して機能し続けることがあるというように言えることがお分かりだと思います。
<参考書>
1. Langs, R. "The Bipersonal Field" Jason Aronson
2. Bion, W. "Learning from Experience" Karnac Books
3. Bion, W. "Cogitations" Karnac Books
4. Grotstein,J. "Do I Dare Disturb the Universe?" Karnac
Books
5. Little, M. "Transference Neurosis & Transference
Psychosis" Jason Aronson
6. Rosenfeld, H. "Impasse and Interpretation" Routledge
7. Casement, P. "On Learning from the Patient" Routledge
8. Haskell, R. "Between the Lines" Plenum Press
第2章 治療者の介入としての枠組み
<ケース検討>
Dr.X:では、今日は誰がプレゼンテーションをしますか?
プレゼンター:今日は私です。では、良いですか?患者は20代前半の独身女性で摂食障害の診断です。患者は事務職をしていますが、この頃はなんとか週1回
50分の面接には通えるようになっていました。今日プレゼンテーションする前のセッションでは、患者は以前は治療を渋っていたのに、最近ではこの面接の時
間が大切な時間に思えること、面接のような一見無駄な時間こそが患者にとって大切な事なのだと思うようになってきたことを話していました。
Dr.X:先生は、そういう患者の話を聴いてどんな気持ちがしましたか?
プレゼンター:正直言って、うれしかったです、というか、ほっとしました。この患者は最初なかば嫌々というような様子で、すごく不信感を持ちながら、私と
の面接を始めましたから、私としては彼女がこれだけ私との面接にある程度安心感を持つことができるようになったことにほっとしたのだと思います。
Dr.X:これでやっと落ち着いて治療ができる、と?
プレゼンター:そんな感じです。それが・・・?
Dr.X:いえ、ある程度は治療者は患者の言動によって自分の中にどんな感情反応が起こっているかを知っている必要があるからです。では、続けてくださ
い。
プレゼンター:患者は面接が始まると、やや唐突に「先生、来週のこの曜日は仕事があるので難しいです。別の曜日に代えられないでしょうか?」と聞いてきま
した。
Dr.X:ああ、急にきましたね。どうでしょうか?何かコメントはありますか?
参加者:私は面接の約束の曜日は変えるべきではないと思います。
Dr.X:なぜですか?
参加者:面接は約束された決まった日時に行われるというのは、治療の枠組みですから、それをそう簡単に崩すべきではないからです。
Dr.X:それは、なぜですか?
参加者:・・・・・。一般に、枠組みはそう簡単に崩すべきではないと教えられていると思います。
Dr.X:そうですね。確かに一般的には治療の枠組みは、面接の時間や場所などはその1つですが、崩すべきではありません。しかしそれは誰か偉い先生がそ
うすべきだと言ったからではないのです。患者自身の話を聴いていってください。多くの患者が一方では、顕在的には枠組みを崩すように要求することをします
が、たいていは潜在的には崩すべきではないことを願っているからです。ですから、最初から「枠組みは崩すべきではない」という答えを治療者が持っている必
要はないですし、そうならないようにすべきです。むしろ、黙って患者の言葉の続きを聴き、自分たちはどう行動すべきかを、患者からの連想の中に探っていく
べきです。
他にはコメントはないですか?うん、一般に患者が治療者に枠組みを逸脱するように要求してくるときは、その前に治療者が何らかの逸脱を先にしかけている
ことが多いのです。ですから、もしセッションの始まりに患者がこのような逸脱を唐突にしかけてくるのであれば、自分は前回あるいは最近のセッションの中で
何らかの逸脱を患者にしかけなかっただろうか?と振り返るべきです。自分で振り返って分からないときは、黙って患者の連想の続きを聴き、その中に何か自分
の行動の問題点が象徴されていないかどうかを見つけて行くべきなのです。どうですか?何か思いつかれるところはありませんか?
プレゼンター:正直なところ、わかりません。
Dr.X:じゃあ、患者の話の続きを聴きましょう。
プレゼンター:私は、私が外来での面接を担当できる曜日は2つあったので、そのどちらでも枠が空いていれば、1週間前までに言ってくれれば良いと言ってい
たので、了承しました。すると患者は・・・。
Dr.X:すると先生は最初から、患者に面接の時間を変更して良いとしていたのですね?これはあまり普通のことではないと思うのですが、先生はいつもそう
しているのですか?
プレゼンター:いいえ、私も普段は面接の時間はしっかりと固定して動かすことはしません。しかし、この患者の場合は仕事の内容から決まった日に通院するの
は難しいと最初から言っていましたし、ただでさえ最初は治療そのものに否定的な人だったので・・・
Dr.X:ついついご機嫌取りをしてしまった・・・?
プレゼンター:うーん、そういうことになるんでしょうね・・・。
Dr.X:患者の幸福を第一に考えるのは大切なことです。しかしこの種の「ご機嫌取り」は治療者・患者関係にあってどのような意味を持つでしょうか?ある
患者にとっては治療者からの不適切な誘惑として捉えるでしょうし、ある患者にとっては患者のことを本当には信用していないからエサでつっていると捉えるで
しょうし、また別の患者では都合の悪いことを喋らせないための賄賂として捉えるでしょうし、またまた別の患者では過保護・過干渉であると捉えられるでしょ
う。患者側の捉え方は患者の病理の質によってさまざまでしょうが、多くはあまり良くない、不誠実なイメージを生じさせることになると思います。さて、こう
した現実的な逸脱が治療者側にすでにあったことを考えると、患者がやや唐突に通院の曜日を変更したいと言ってくるように、逸脱要求を話題にすることもある
程度理解できてきます。今後の患者の連想の中には、患者が治療者のこの逸脱をどのように捉えるかが象徴される可能性が高くなります。では、続きを聴きま
しょう。
プレゼンター:患者は、通院の日は仕事が忙しく残業があることが多いので、よく上司に「絶対にこの曜日じゃなくちゃダメなのか?」としつこく聞かれるのが
嫌でおれてしまった、と話しました。
Dr.X:患者にはきちんとした自己主張ができていません。「この曜日じゃなくちゃダメなんです」と言うだけなのにです。しかし、最初にその手本を示して
しまったのは治療者です。相手の、どちらかというと不適切な要求に対して、本来は断るべきところをおれてしまう、というテーマの話が出てきていますが、治
療者が面接の曜日を変えて良いと最初に言ってしまったのは、まさにそういうことでしょう。まあでも、続きを聴きましょう。
プレゼンター:患者は続けて、今週はずっと気分が晴れないでいた;この面接に来るのもどこか嫌な感じだった;でもこの気分の悪さは、天気の悪さのせいかも
しれない;自分は自分のやりたいことが予定通り思ったようにいかないと嫌な気分になる;友達と一緒にいると気を使ってしまい、疲れてしまう;こうした全て
のことで、気分が落ち込んでしまう;また体重が増えていることが気になってしまう、というような話をしました。
Dr.X:この部分の患者のコミュニケーションの中に、何か重要なものがありますか?
参加者:この部分はあまり象徴的な話がないと思います。それに、気分が悪いのは天気のせいだろう、などという話しもあって、いかにも意味のある関わり合い
を避けようとしているように感じられます。
Dr.X:象徴性のあるイメージがないという点ではそうでしょう。他にはありませんか?
プレゼンター:患者は「面接に来るのも嫌な感じだった」と言っています。
Dr.X:それは一般になんと呼ばれるものですか?
プレゼンター:抵抗です。
Dr.X:そうです。患者には何らかの理由があって治療に否定的な気分になっているのです。同様に何らかの理由があって抑うつ的になっているのであり、何
らかの理由があって再び体重へのとらわれが悪化しているのです。このように、症状や抵抗といった形で、「何らかの理由のある問題がある」ことを指し示すコ
ミュニケーションは、「治療文脈」とか「指標」と呼ばれています。そこに治療的介入を要する何かの問題が存在することを指し示しているからです。それがど
んなものであるか、どのように問題であるのかを知るためには、他の象徴的な素材が出てくるのを待たなくてはなりませんが。
参加者:抵抗はどのように扱うべきなのでしょうか?
Dr.X:基本的には解釈的に扱うべきです。
参加者:つまり、患者の言ったことから、「あなたは治療に抵抗したい気持ちがあるようですね」と言うのですか?
Dr.X:それは指摘であり直面化にすぎません。そのようなやり方をすると、多くの場合、患者は批判されていると感じてますます引っ込んでしまうだけで
す。「解釈」というからには、患者が治療者・患者関係のどのような問題に対して、どのように捉え、どのように反応しているのかについて理解を示す内容でな
くてはいけません。患者が「抵抗」するからには、そうするだけのもっともな理由があるはずです。それが分からないうちは介入すべきではありません。どのよ
うな患者の連想素材から、どのように解釈的な介入を組み立てて行くかということについては、いずれこのディスカッションの中でも見ていくことになるでしょ
う。まずはケースに戻りましょう。
プレゼンター:患者は、先週までは良かったのに、また今週は元に戻るようなことをしている・・・と言いました。続けて、今週はスケジュールが忙しい;自分
としては今月のこの日はこれをしよう、あれをしよう、といろいろ計画を立てていた;しかし職場の宴会だとか、いろいろな用事が入ってしまい、思ったように
いかなくなってしまった;それで嫌な気分になった;嫌ではあるのだけれど、自分の性格は人のことを気にしてしまうので、いつもおれてしまう;でもこれはか
えってよくない関係をつくってしまうことは分かっている、と言いました。そして、「こうやって人のことに気を使うと言っても、本当は優しいのではなく、自
分に甘くダラダラしているだけなんです。相手のことを本当には好きでもないし信用してもいないから、相手に嫌われるのが怖くて、嫌だとはっきり言えないだ
けなんです。もっとしっかり決めるべきだったのです。」と言いました。
Dr.X:さあ、患者の言葉から何を聴きましたか?
プレゼンター:私の態度は、患者を信用していなくて、患者から嫌われるのを怖がっているだけなのだと(笑)。
Dr.X:その通りですね。そして、それはかえって関係を悪くしてしまうとも言っています。では、これまでのところで、患者の介入要求、つまり「指標」は
ありましたし、どんなことに患者が反応しているか、つまり「引き金」も分かりました。さらにここに来てそれらがどのように患者に感じ取られ、どのような意
味を持っているかを象徴する話しも出てきました。これだけそろえば解釈的介入ができます。先生は、介入しましたか?
プレゼンター:しました。
Dr.X:良いですね、では聴いていましょう。
プレゼンター:私は「今日の面接の初めの方で、あなたは次回の面接の曜日を変更したいという希望を言いましたし、私はそれを了承しました。その後で、あな
たは自分が相手からの要求を断りきれず、相手に合わせてしまう話をして、しかしそれは相手の気分を害することを恐れているだけであって、自分に甘いことな
のだと言ってきました。こうしてみると、私があなたの要求に応じて面接の曜日を変更するのは、どこかあなたの気分を害するのを恐れるために、自分に甘くし
ているのにすぎないという意味があるのかもしれません。もっとはっきりと決めておくべきなのでしょう。ですから、次回はあなたの希望通り曜日を変更します
が、その次からは変えないようにします。」と言いました。
Dr.X:これは不思議な介入です。先生はしっかりと患者からの潜在的なメッセージを読みとれているのに、どうしてその結論が「次回は曜日を変更する」で
あり、「曜日を変更しないのはその次から」となったのでしょう?患者はしっかりと断るべきだと伝えているのに、しかもその意味を先生はしっかりと読みとれ
ているのに。
プレゼンター:いや、私は最初に1週間前であれば変更しても良いと伝えていたので、約束だったので・・・。
Dr.X:しかし今患者はそうした古い約束は「関係をかえって悪くするものだから」止めるべきだと言っているのです。うーん、患者がどう反応するかを見て
みましょう。続きを聴かせてください。
プレゼンター:患者はしばらく黙った後で、面接の頻度は現在は週に1回だが、隔週にならないだろうか?と聞いてきました。
Dr.X:逸脱に対してさらなる逸脱で返してきています。続けてください。
プレゼンター:私は面接は週1回を続けた方が良いと伝えました。患者は再びしばらく黙った後で、自分はこれまで時間がないことに不満を感じていたが、これ
は本当は時間がなかったのではなく、時間の使い方が下手だったのだ、と言いました。続けて、これまでは時間をただダラダラと行き当たりばったりにすごして
いた;そうではなく、時間についてもしっかりすべきところは、しっかりすべきなのだ;あまりにも計画性がなかったのだ;あらかじめ決めなくてはいけないも
のは決めておかなければいけない、そうすれば、残った時間を有効に利用できたのだろう、というような話をしました。
Dr.X:どうですか?これはどういう種類のコミュニケーションですか?
参加者:患者はかなりしつこく「しっかりしてください」、「決めるべきものは決めてください」、「行き当たりばったりにしないでください」と言っているよ
うです。
Dr.X:そうですね。これは何と呼びますか?「修正モデルの提示」です。治療者・患者関係の中で治療者側に大きな問題がある場合、患者がその問題をどの
ように修正すべきかのモデルを示してくることがあります。時にはこのように「何々すべき」といった直接的な内容で、時にはもっと象徴性の強いイメージ性の
内容で、時には患者自身の行動で示してくることもあります。今回の介入では、治療者はどうすれば良いかが分かっていながら、行動が伴っていないので、患者
は「もっとしっかりしてください」と治療者を励ましているのです。
一般に「介入」というと、解釈や直面化のような言語的な介入を思い描く人が多いのですが、非常にしばしば治療者が枠組みをどう扱うか、治療者・患者関係
の中でどのように振る舞うか、という行動面も含まれることが忘れられています。治療者は患者と違い、面接の中で自分の連想を述べることはありませんが、し
かし患者の素材の理解の仕方、その伝え方によって自分のパーソナリティーのあり方を示すことになります。こうして双方向的なパーソナリティーの交流ができ
るのです。患者が患者の心の中を治療者に伝える方法は、言語的なものと同時に行動的なものもあります。それと同様に、治療者が治療者の治療的機能を患者に
伝える方法は、言語的な介入と同時に、その関係の中でどう振る舞うか、治療の枠組みをどう扱うかといった行動的な介入もあるのです。治療者が治療の枠組み
をどう扱うかという行動には、言語的な介入の内容が伝える以上に、患者の心をどう理解したか、その上でどう治療的に反応するかが表現されてきますから、一
般に言語的な介入よりも数段重大な影響を患者に与えます。ですから、いくら患者の素材を知的に理解し、言語的に解釈することができても、その後の治療者の
行動がその方向性に沿っていないものであるならば、患者はそこに大きな矛盾を感じ、治療者の弱さと狂気を感じ、その弱さと狂気を取り入れ同一化してしまう
可能性があるのです。
その後面接はどうなりましたか?
プレゼンター:この辺で時間になり、セッションが終わりました。
Dr.X:ではその次のセッションではどうなりましたか?
プレゼンター:その次のセッションは、結局患者は変更された曜日に来ることはなく、現在のところまで数回キャンセルが続いてしまっています。
Dr.X:これは大変重大な局面です。患者は治療者・患者関係の中で何度も治療者側の問題を認識させようと努力してコミュニケーションしてきましたし、治
療者がどのように振る舞うべきかの修正モデルまで示してきました。しかし、それでも治療者が動けなかったということに、失望と諦めを感じている可能性があ
るからです。もしかしたら、これで治療関係が切れてしまうかもしれませんし、もしかしたら患者はもう1回くらいチャンスをくれるかもしれません。その時は
間違わないようにすべきでしょう。
<解説と討議:治療者の介入としての振る舞いと枠組み>
Dr.X:治療者・患者関係の中で、治療者の治療的機能は主にその介入によって実現されるのですが、それには言語的な介入である「解釈」と、非言語的な、
治療者の行動や振る舞いといったものによって示される「枠組みの取り扱い」とがあります。両方とも患者への理解を示すためには極めて重要なのですが、非常
にしばしば後者は忘れられがちです。しかし、行動化や投影同一化の傾向の強い患者の場合は特にそうなのですが、すべての患者において、言語的な理解を伝え
る「解釈的介入」も、態度や行動でそれを伝える「枠組みの取り扱い」も、両方ともが非常に大切なのです。誤解を恐れながらこの例えを使うのですが、例えば
赤ちゃんが空腹で泣いていたとします。お母さんがやってきて、その泣いている意味を理解したとしても「ああ、お腹が空いているんだね」というだけでおっぱ
いを与えようとしないのであれば、お母さんの行動は非常に奇妙で矛盾に満ちたものになります。理解しながらしかし行動していないからです。同様に、もう少
し年齢の高い子どもが、両親の不仲について心を痛めているとします。子どもは非常に苦労して、非常に言いにくいことながら両親の不仲は子どもにとって辛い
こと、仲良くして欲しいことを伝え、それを聞いた両親はちゃんと理解できたとします。しかし理解できて、それを子どもに伝えたとしても、その後少しも夫婦
仲を改善しようと行動しないのであれば、両親の子どもへのメッセージは非常に奇妙で矛盾に満ちたものになります。あるいはせっかく子どもが必死に伝えた意
味を台なしにすることにもなります。治療者・患者関係において、治療者が患者からの潜在的コミュニケーションをどう理解し、どう言語的に解釈するかという
ことと同じくらい、あるいはそれ以上に、その理解の上でどのように行動するかということが大切であるかがお分かりになると思います。
より臨床に即して言うと、例えば治療者が患者との関係で何らかの間違いをおかすことは良くあることです。Winnicottなどは治療者が治療者・患者
関係において間違いをおかすこととそれを修正することこそ治療的な意味合いがあるとさえ言っています。こうして治療者が間違いをおかしていると、患者は非
常にしばしば象徴的な素材を使って治療者にそのことを気づかせ、修正させようとします。うまくいけば、治療者はその象徴的な素材の意味をとらえ、自分のど
のような言動が患者にとってはどのような反治療的な意味合いがあり、だからどうすれば良いのかを気づくことができます。しかし、気づいたところで、治療者
が自分の行動を修正しなかったらどうでしょうか?これは大変患者にとっては外傷的な体験になるのです。治療者の理解と行動が矛盾しているからです。これは
まさにSearlesの言う「他者を狂わせようとする働きかけ」にほかならないからです。
さて、治療者・患者関係において治療者の行動が患者に強い影響を及ぼすのは、多くは治療の枠組みの扱いにおいてです。ですから、治療の枠組みというのが
すごく重要になるのです。誰か偉い先生が「枠組みは大切だから守るように」と言ったからではなく、治療者が枠組みをどう扱うかという治療者側の行動によっ
て患者が強い影響を受けることが多いからという理由で注意すべきなのです。
参加者:「治療の枠組み」というと、例えば面接の場所とか、椅子の配置とか、面接の時間とか、そういった物理的な固定された設定のことをいうものだと思っ
ていましたが、先生のいう「枠組み」というのはもっと広くて流動的な、治療者の振る舞い全般を指す言葉のようですね?
Dr.X:その通りです。確かに、面接の場所や時間などの物理的な設定も枠組みの大切な要素の1つです。しかしその他に、治療者の中立性と匿
名性の扱い、患者の守秘性とプライバシーの扱い、いわゆる禁欲原則など、治療関係において言語的な介入と呼べるもの以外のすべての行動を指すと考えた方が
良いでしょう。
例えば、面接中に不安になった患者が手をとって大丈夫だと言ってくれと要求してきたとします。これに対して治療者はいろいろな行動をとりうると思うので
すが、それら
すべては枠組みの扱いという言葉で言い換えることもできますし、その方が考え方を整理するうえでは、行動を非言語的なコミュニケーションであると漠然と考
えるより考えやすいのです。同じ意味ではありますが。例えば、患者の要求に応じて手をとってあげ、「大丈夫だよ」と言ってあげることは、「枠組み」的には
どのように表現できますか?
参加者:「患者に触れないことNot Touch the Patient」の原則に反します。
Dr.X:もう少し別の言い方をすると?「禁欲原則」の逸脱です。もともと「禁欲原則」とは患者にとっての神経症的・病的要求を直接的に満足
させることをしない、という原則です。1つにはそれを逸脱すると表現できるでしょう。また治療者の「中立性と匿名性」も逸脱されます。しかし、大事なのは
これが一般的に善しとされる「枠組み」から逸脱しているかどうかではなく、こうした治療者の行動が、患者の与える素材に対する理解を示しているか、無理解
を示しているか、ということです。治療者は行動によって理解を示すものだということを忘れないことが重要なのです。もし患者の素材が治療者はそうすべきで
はないことを伝えているのであれば、それを言語的には理解しても行動的には理解していないように振る舞うのであれば、明らかな無理解を示していることにな
りますし、治療者側の狂気を示していることになります。今回のケースでは、患者は面接の時間を変更するように要求してきました。しかし、その後に出てきた
素材は、明らかにそうすべきではないことを示唆していたのです。治療者はまずは、その素材が象徴的に意味するところを読み取っていかなくてはなりません。
そして、その理解に基づいて行動できることを示さなくてはならないのです。つまり、一般的な解釈の形式はこうなります:「あなたはこれこれという要求をし
ました。しかし、それに続いて、これこれという話、これこれという話が続き、もし私があなたの要求にしたがってこれこれということをしたら、それはあなた
にとって、これこれという意味であり、あなたは本当はこれこれということはしないことを望んでいるようなのです。すると、私がすべきことは明らかであり、
私はあなたの要求であるこれこれをしないことにします。」と。解釈は患者の無意識的な訴えに対する理解を言語的に示すものですが、それに付けくわえて、だ
から治療者はどのように行動するということまで言及すべきなのです。そして、その通りに行動することができて初めて治療的介入は完成するのです。
参加者:先生は治療者の行う介入として、言語的な介入である「解釈的介入」と、非言語的・行動的な介入である「枠組みの取り扱い」しか挙げられませんでし
た。これはわざとですか?他の、例えば「直面化」や「質問」、「明確化」などの介入はどうなのでしょうか?
Dr.X:実は、わざとです。治療者の介入に対する患者の反応を見ていると、多くの場合、本当に必要な介入は「沈黙」、「解釈的介入」、「枠組みの取り扱
い」以外にはないようなのです。よく言われている「直面化」、「質問」、「明確化」といった介入は、多くの場合、治療者による行動化の結果であり、正当性
のある介入というよりは、枠組みの逸脱といった側面の方が強いのです。そもそも言語的な介入を行うということも、患者のコミュニケーションを理解した上で
治療者がどう振る舞い行動するかによる理解を示すものとなっているのですが、「沈黙」と「解釈的介入」以外は、介入行動によって理解を示すものにはなりに
くいのです。
例えば、直面化という介入を好んで多用する治療者がいますが、この介入は患者の気持ちに対して理解を示すものではなく、治療者のものの見方に患者を従わ
せようとするものです。多くの場合、あまりに患者からの投影同一化によってコントロールされてきていると感じる治療者が、反撃のために患者をコントロール
するために行う逆投影同一化的な色彩の強い介入であり、明らかな行動化になっています。さらに、幾つかの研究によっても直面化という技法があまり治療促進
的なものではないことが示されてもいます。
同様に「質問」は患者の連想の流れをコントロールするためにも、患者を批判するためにも、素材を表面的なものにして重要な問題を回避するためにも、しば
しば誤用されます。また、「明確化」は非常にしばしば素材を表面的で無意味な意識的な議論にしがちであり、無意識的な象徴的素材を乏しくしてしい、結局は
治療者によるtype Cコミュニケーション様式への誘導として誤用されがちです。
こうした理由のために、多くの場合に正当性のある介入というのは、「沈黙」、「解釈的介入」、そして「枠組みの取り扱い」のみに限定してお話ししたので
す。
<参考書>
1. Langs, R. "Ground Rules in Psychotherapy and Counceling"
Karnac Books
2. Casement, P. "On Learning from the Patient" Routledge
3. Searles, H. "Collected Papers on Schizophrenia and Related
Subjects" International Universities Press
第3章 傾聴から介入へ
<ケース検討>
Dr.X:さあ、今日はどなたが、どんな面接場面を提供していただけますか?
プレゼンター:では、早速症例呈示をします。患者は20代後半の既婚女性で、いわゆる境界性人格障害の診断でもう何年も私のいる総合病院精神科の外来に通
院しています。主な症状は抑うつ気分、パニック発作、自分自身や他者を傷つけてしまうのではないかという衝動への不安、時々解離性のエピソードがあるこ
と、などなど多彩です。私のいるような大きな総合病院精神科の外来ではよくあることですが、勤務医は数年ごとに大学医局の人事で移動していってしまいま
す。ですから、この患者もこれまで3回くらい主治医交代を経験しています。どうやら、その度に不安定になってきた様子で、実際私が前の主治医から治療を引
き継いだ時も大きく不安定になっていました。そして、今回はあと数回のセッションの後に、私も別の病院に移動になることになっています。
Dr.X:これも非常によくあることですが、患者にとってみればすごく外傷的な体験です。治療の途中でいきなり見捨てられ、放っぽり出されてしまうわけで
すから。これはそういう制度がいけないのであって、先生が悪い訳じゃないのですが、しかし患者が悪いわけでもないので、患者は先生にその気持ちを向けてく
るでしょう。
先生は転勤について患者に伝えていますか?
プレゼンター:はい、だいたい半年前に伝えました。
Dr.X:先生が転勤するということが分かったのはどのくらい前ですか?
プレゼンター:約1年前には分かっていました。私はどの時期にそれを伝えるべきか、かなり迷いましたが、半年前に伝えることにしたのでした。
Dr.X:治療者の喪失は患者にとって非常に外傷的な体験です。ですから、その気持ちを処理するのにできるだけ多くの時間をとってあげるべきです。ものの
本には3ヶ月くらい前に伝えれば良いと書かれているものもありますが、基本的には転勤することが分かったら、できるだけ早く患者に伝え、それに関連する気
持ちを作業する時間を確保する方が良いのです。それだけ、患者にとっても治療者にとっても大変な作業になるからです。
参加者:治療者の移動・転勤に関して、他に注意すべき点はありませんか?
Dr.X:できるだけ早くそのことを患者に伝えること、患者がそれに関連した素材を出してきたらしっかりと扱うこと、以外には特にありません。しかし、こ
の出来事は患者を大変傷つけるものですし、その非の大部分は治療者側にありますから、多くの場合治療者にとっては聴くのが大変辛い潜在内容が患者から出て
きます。このためそうした話題から逃げようとしてしまう治療者も多く、それがこの問題を扱いたくないという患者側の回避的な態度とある種の共依存関係を形
成してしまい、有効な治療的作業がなされないまま終わってしまうことが少なからずあるので注意が必要です。
参加者:終結をできるだけスムースにするために、セッションの間隔をあけていく、例えば毎週から隔週にしていく、などとするやり方もよく聞きますが。
Dr.X:セッションの間隔をあけるということは、つまりは治療の枠組みの変更です。前回もお話ししたように、治療の枠組みを変更するときは、患者の潜在
内容に沿った形でなされるべきなのですが、意識的・顕在的な訴えではなく無意識的・潜在的な訴えから、治療の終了が迫っているからという理由でセッション
の間隔をあけていくべきだという内容を伝えてくる患者はほとんどいません。逆に意識的・顕在的にはそう求めてきても、潜在的にはそうすべきではないと訴え
ることのほうが圧倒的に多いのです。
では何故、治療が終了する前にセッションの間隔をあけていくというやり方が少なくないのでしょうか?私たちは、その意識されない動機について注意深くし
ていなくてはいけませんが、多くの場合は治療者も患者も離別に伴う不安や怒りなどのネガティブな感情を扱いたくないのです。しかし、ネガティブな感情を避
け続けての治療なんてあり得ないわけですから、これは正しい治療的な態度ではありません。
私たちは、誰か偉い先生がそうすべきだと言ったから、という理由で治療的な行動を決定すべきではありません。患者本人こそが最大の導き手であるのです。
Casementが言っているように、しっかりと「患者から学ぶ」姿勢でいるべきなのです。
他にありますか?
参加者:その他の治療の設定や状況はどうなっているでしょうか?
プレゼンター:ああ、この患者とは週1回50分のセッションを約2年間行ってきたところでした。セッションの間隔の変更はありません。あと、抑うつ症状な
どに対して抗うつ薬などの薬物療法も併用しています。精神科医である私が面接を行っているので、治療者が2人いるという問題はないはずです。私が転勤した
後は、別の精神科医に引き継いでもらうことになっています。
参加者:その精神科医の先生も、先生と同じように週1回50分も時間をとって面接をしてくれるんですか?
プレゼンター:それは引き継ぐ先生が決めることですが、多分そうしないだろうと思います。私のような変なオリエンテーションの医者はあまりいないので
(笑)。
Dr.X:さて、これで背景が分かってきました。では時間もないですし、セッションに入りましょう。
プレゼンター:はい。今日提示するセッションの前のセッションでは、患者はデパートに買い物に行った話をして、あるお店で順番を待っていたら、やっと患者
の順番になったというところで、急に販売員が交代してしまい、次にきた販売員は患者のことを無視して別のお客に向かってしまったので、すごく嫌な思いをし
た、という話をしていました。
Dr.X:これはまた、治療者交代についての、ずいぶんあからさまな象徴です。患者はちらっとでも何らかの主治医交代についての言及はしなかったですか?
プレゼンター:しました。といっても、数年前の主治医交代に伴う不安や不満の話でしたけど。患者はこれまで私との離別については意識的には一度も扱ってい
ません。
Dr.X:しかし、これは大きな「引き金」の象徴です。充分に解釈可能な素材だと言うべきでしょう。「引き金」の象徴は充分にある、「患者の無意識的な感
じ取りかた、反応の仕方を象徴するテーマ」も出てきている、治療の中断が間近に迫っているという問題もある、といった中で、治療者はできれば介入すべきで
す。介入しましたか?
プレゼンター:いえ、それができなかったのです。後から気づけば介入できるだけの豊富な象徴的素材があることが分かるのですが・・・。
Dr.X:これは極めて人間的な反応です。治療過程は決して知的なパズルゲームではなく、人間対人間の情緒的な相互関係なのです。治療者がどんなことに気
づくか、気づけないか、気づいた上で行動できるかといったこと全ては治療者のパーソナリティーを反映します。患者はこうした治療者の問題を、今回は「介入
のし損ない」ですが、どのように捉え、反応するでしょうか?治療者・患者関係の差し迫った問題である離別のテーマも忘れてはいけませんが、そのことも少し
頭のどこかに置いておいても良いかもしれません。では、セッションに戻りましょう。
プレゼンター:セッションが始まると、患者は先週のX曜日(セッションの翌日です)くらいから、少し落ち込んでいる、先週までは少し気分が良かったのに、
と言いました。何もしていないと怖くなるので、ほとんど嗜癖のように過食をしては嘔吐をしている、と。
Dr.X:どうですか?
プレゼンター:私がしっかり介入をしなかったことが患者を落ち込ませてしまっているのか、あるいは治療の中断が迫っていることが落ち込ませてしまっている
のか、というところだと思いますが。
Dr.X:どちらもありうるでしょうね。ここで出てきている「嗜癖」はどう考えますか?
プレゼンター:・・・。無意味な行動、何の生産性もない行動のことですよね。
Dr.X:その通りです。嗜癖は無意味な行動、あるいはもっというと、意味を無意味化する行動です。これはLangsがtypeC mode of
communicationと呼んでいるコミュニケーション様式に関係しますし、意味を破壊し無意味化することに、つまりBionのいう-Kに関係しま
す。この患者は嗜癖系の患者です。嗜癖系の患者は一般的にtype
Cの防衛を非常によく使う傾向があります。つまり意味を無意味化することで不安を避けようとするのです。ですが、同時に治療者側にも同じような動きがあっ
たことを忘れるべきではありません。患者がせっかくかなり良い形で「引き金」を象徴し、それをどのように無意識的に感じ取り反応したかをもかなり良い象徴
で示すなどして意味のある素材を出してきたのに、治療者がそれを無視してしまったということは、意味の破壊に他ならないのです。嗜癖系の患者には特に意味
を無意味化したい反治療的な衝動があることが多いのですが、治療者の方もそれに共謀する形で意味のある素材までも無意味化してしまう傾向が生じやすくなり
ます。双方ともに、無意味化することで不安を回避するためにです。治療者が患者の素材を無意味化するような介入を行うと、患者も無意味化するコミュニケー
ション様式に入る可能性が高まってしまいます。でも、治療者・患者関係にある離別を扱うべき時間は残りすくないわけですから、いつまでも無意味化された関
係に引きこもっているわけにはいかないはずですが。さあ、セッションに戻りましょう。
プレゼンター:患者は続けて言いました:いつも不安で仕方なくなるので、お守りに小さなぬいぐるみを持っています;今日は持ってきていないですけど、そう
していないと不安で仕方なくなるのです;私はいつも生理前になると情緒不安定になって不安が強まります;すると、1週間後くらいに不安になるはずだったの
に、今回はもう今から不安なのです。続けて友人と会った話をして、患者は相手に自分の心は空っぽになっていることを話した;相手もこれまで大きな問題を抱
えていた人だったが、この頃は自分のやりたいことを見つけ、居場所を見つけたから、気分的にも安定してきているという話をしていた、と言いました。
Dr.X:どうですか?今の話を聴いて、どんな印象です?
参加者:正直言って、よくわかりません。何がどんなことを象徴しているかはっきりつかめません。というか、この話にはイメージ性が欠けていて、すごく説明
的な感じがします。
Dr.X:そうです。これがtype C mode of
communivcationと呼ばれるコミュニケーション様式の特徴です。多くの場合、あまりイメージ性がなく、説明的で、モノローグ的です。患者がこ
のコミュニケーション様式に引きこもっている間は、治療者はあまりすべきことがありません。ただただ邪魔をしないように、邪魔をしてこれ以上引きこもらせ
ることがないように、じっと待っているしかないでしょう。先生はどうしていましたか?
プレゼンター:黙って聴き続けていました。
Dr.X:良いですね。そうするしかないでしょう。続けてください。
プレゼンター:患者は続けて言いました:相手にはやりたいことも、居場所もあった;しかし自分にはやりたいことも居場所もない;自分はこれまで自分が一番
にやりたかったこと、欲しかったことは求めないようにしてきた;求めても得られなかった時の失望感が怖かったから;でも、そのせいで、これまで一度も一番
にやりたかったことをやれなかったし、一番に欲しかったものを得られなかったし、今も一番にやりたいものがない;すべて本当に欲しいものを最初からあきら
めて、2番目、3番目以降のものしか求めなかったからだ、と。
Dr.X:さあ、やっと内容が出かけてきました。この患者がいう「一番に欲しいもの」とは何でしょうか?患者が必要としている居場所とは何でしょうか?も
うお分かりでしょうが、もう少し患者の話を聴いてみましょう。続けてください。
プレゼンター:患者は友人との話の続きを話しました:その友人は高校生の頃から生物学が好きで、一番やりたいと思っていた医者という仕事に就いた;彼女も
子どもの頃からいろいろと大変な問題を抱えてきた人でしたが、今は自分が一番にやりたいことをやれている;彼女は実はこの病院の医者とつきあっていたのだ
が、少し前に別れてしまったのだ;相手の男性の医者は海外に留学することになっていたので、彼女も一緒についてきてくれることを望んでいたようだった;し
かし、彼女は彼女の好きな仕事を続けたかったのだ;それで、彼女はとても悩んだ末に彼と別れることにしてしまった;彼女は仕事の上ではやりたいこともやれ
ているし、すごく評価もされているようだ;だけど、彼女はどこか幸福そうには見えない;でも、彼女には好きな仕事も居場所もあるから良い;自分にはな
い・・・、と。
Dr.X:いかがですか?
参加者:離別というテーマで比較的明らかな象徴的イメージが出てきています。
参加者:しかも相手が「この病院の医者」というように、治療者をかなり強く連想させるものになっています。「引き金」の象徴はもう充分だと思います。
Dr.X:その通りです。後は、その「引き金」がどのような反応を患者に引き起こしたかですが、これはすでにある程度明らかになっています。患者はその
「一番に欲しいもの」である「居場所」を求めることもできずにいるのです。なぜでしょうか?求めても得られないことを恐れてです。患者が治療者の気持ちを
修正しようとしても、修正できないかもしれない、という不安のためです。Searlesは患者の中に治療者の病理を癒そうとする傾向があることを指摘して
います。これは多くの患者の中にある傾向ですが、原型的には多くの場合両親に向けられていた気持ちです。子どもは、両親の中にある病理を何とか癒してあげ
ようと必死になるのですが、どんなにやっても出来ないときに、心を病むことになります。治療者・患者関係における関係の再演の中で、もし患者が治療者の心
を癒し、治療者の間違いを修正することが体験されれば、これは患者にとって大きな治療的機会になります。ところで、先生、この患者をどうやっても転勤後の
病院で診るわけにはいかないのですか?
プレゼンター:できないと思います。第一、患者の家からは遠すぎますから。
Dr.X:遠すぎるから無理というのは患者の判断ですか?それとも先生の判断ですか?いずれにしろ、もう一度検討しなおした方が良いかもしれません。で
は、セッションに戻り、続きを聴きましょう。
プレゼンター:患者は続けて言いました:自分は昔から一番に欲しいものは求めないようにしてきた;本当はよく考えれば方法はあるはずだし、何とかなるはず
なのに、求める前から諦めてしまっていたのだ、と。
Dr.X:どうです?これは治療者である先生への励ましあるいは忠告ではないですか?「本当はよく考えれば方法はあるはずです。何とかなるはずじゃないで
すか?」と。これもかなり直接的な「修正モデルの提示」の一例です。
プレゼンター:うーん、そうかもしれません。患者は続けて言いました:昔、母親が自分たちをおいて家出をしたときの事もそうだった;自分には母親が家出を
しようとしていることが分かっていた;だから本当は止めたかったのに、止められなかった;もし自分がどんなに頼んでも、出ていこうとする母親を止められな
かったらどうしようと思っていた、と。
Dr.X:さて、何を聴きましたか?
プレゼンター:母親が出ていくという明らかな離別のテーマです。
参加者:これはただの離別ではなく、見捨てられることであり、養育を放棄されることでもあります。
Dr.X:その通りです。患者は、治療者が治療半ばで患者を放って出ていくのは、患者の母親が過去にやったのと同様に、養育を放棄することに他ならないと
感じているのです。見捨てられたと感じているのです。こうした思いを解釈して理解する必要がありますし、可能であれば患者の勧告に従ってもう一度よく考え
てみて、何らかの方法がないかどうかを検討してみるべきです。先生はここで介入しましたか?
プレゼンター:いいえ、まだしませんでした。
Dr.X:確かに、もう少し素材が膨らむのを待っても良いかもしれませんが、もうそろそろ介入すべきでしょう。では、患者がどう続けるか、聴いていきま
しょう。
プレゼンター:患者は続けて言いました:高校進学の時も、自分が一番行きたかった高校は絶対に落ちると思いこんでいて、不安で仕方なかった;突然学力が下
がるのではないか?突然思考が止まってしまってテストが受けられなくなるのではないかという意味不明の不安に襲われていたのだ;本当は学校の勉強は充分に
出来ていたのに;その頃は意味不明な不安があって遠くの高校に電車やバスで通うのは不可能だと思いこんでいた;それで結局、かなりランクの低い自宅の近く
の高校にしたのだった;でも、本当は成績も充分にあったし、遠くに通うことも何の問題もなかったはずなのに、というようなことを話しました。
Dr.X:この患者さんもかなり雄弁ですね。「遠いから通うのは不可能だ」と考えるのは間違っている、と先生を説得しているようです。それにもう1つあり
ます。先生がこの患者を新しい勤務先の病院に連れていこうとしないのはなぜですか?距離だけの問題ではないですね?この患者が先生の心を正しく読んでいる
とすると、先生は自分の技量ではかなわない相手だと見ているのではないですか?能力不足だと?
プレゼンター:そういうところはあるかもしれません。実際、大変な患者だったのです。
Dr.X:でも、ここでも患者は先生を強く励ましていて、全然能力不足ではない、それどころか先生は充分に成績優秀だと言っているようです。ここまで患者
に言ってもらったら、先生はちゃんと患者の言ってきたことを理解し、解釈し、その上で行動をしていかなくてはなりません。そろそろ介入しましたか?
プレゼンター:ええ、私はこの辺で介入をしました。私は「あなたは先週の面接の翌日から気分が落ち込んでいたという話をしました。そして今日の面接には幾
つもの離別の話がありました。医者をしている彼と別れることになった友だちの話、子どもの頃にお母さんが家を出ていったこと、などの話です。そして、求め
たいものを諦めてしまう話がありました・・・。」
Dr.X:うん、これはplaybackという介入ですね。正確にはplayback of selected
materialsと言いますね。つまり、「引き金」が明確には表現されていないときに、しかしすでに出てきている素材の象徴から、何らかの「引き金」が
指し示されることを示唆する介入です。後は、患者が「引き金」を言い出してくれれば完成するパズルのような、不完全な解釈のことです。しかし、
playbackが適切なのは、本当に「引き金」が表現されていないときだけです。今回のケースでは、「海外留学をする医者」や「養育放棄をする母親」な
ど「引き金」である「治療者による患者の見捨て」という出来事に比較的つながりやすい素材にあふれていますから、もっと通常の解釈に近いものにしても良
かったでしょう。例えば、「あなたは先週の面接の翌日以降気分が落ち込んでいると言いました。きっと、この面接の中で起こっていることがあなたの気分を落
ち込ませているのです。そして、今日の話の中には、医者をしている彼と別れることになった友だちの話、子ども見捨てて家を出ていったお母さんの話がありま
した。あなたを落ち込ませている、この面接内でのこととは、そういったことなのではないでしょうか・・・。」などです。いずれにしろ、この
playbackに対して、患者がどのように応じてくるかを見ましょう。続きを聴かせてください。
プレゼンター:患者は言いました:落ち込んでいるのは先週から始まったことではなくて、ずっと前からだ;以前にも話した事があったと思うが、自分は子ども
の頃から毎年3月くらいになると身体の具合が悪くなった;だからいつの頃からか、もう秋の頃から「あと何ヶ月で3月になる」と指折り数えて不安になってい
た;そしてその3月がもう来ている・・・、というところで時間が終わりになりました。
Dr.X:つまり、先生が患者に転勤の事を告げたのは秋頃で、先生が外来を退くのは3月中なのですね?患者はだから、秋頃からずっと指折り数えて3月が来
るのを恐れていたんですね。患者はおそらく意識的にこれだけの象徴を使っているのではないのでしょうが、実に雄弁です。3月の治療者との離別という問題
を、これでもか、これでもか、と繰り返し示そうとしているのです。いずれにしろ、患者の訴えを無駄にしてはいけません。本当に次の勤務先で患者の治療を引
き続きできないのかどうか、諦めるしかないのかどうか、よく検討してみてください。では、この辺で時間になりますので、ケース検討は終わりにしましょう。
<解説と討議:傾聴から介入へ>
Dr.X:今回は介入の仕方についてですが、介入の仕方は傾聴の仕方から切り離すことができません。むしろ、傾聴した内容から自然に介入の内容が出てくる
ものと考えるべきです。この意味でも治療者・患者関係において両者を分けて考えることができないことが言えます。つまり、患者の行動や連想して出してくる
素材は治療者の介入や振る舞いに対する反応となっていますし、治療者の介入や振る舞いの内容は患者の素材に対する反応となっているからです。
患者が充分に象徴性の良い、いわゆるtype
Aコミュニケーション様式にあるときは、しばらく傾聴していると治療者・患者関係にある問題を象徴するような幾つものイメージが出てくることになります。
これは「派生複合体derivative
complex」と呼ばれるもので、そのコンポーネントとしては、(1)治療者・患者関係において治療者がどのように振る舞い、どのように介入したかを示
すもの、つまり「引き金」を表現するもの、(2)それを患者がどのように無意識的に捉え、そして反応したかを表現するもの、(3)治療者・患者関係におい
て治療者が治療的であるためにはどのように振る舞うべきかを象徴する「修正モデルの提示」と呼ばれるもの、などがあります。治療者が解釈的介入を行うのに
必要な要件はこの他に、(1)患者が治療者・患者関係を気にしているということを示唆する顕在的な言及、(2)患者が治療者の介入を要求していることを示
唆する症状や抵抗などの「治療文脈therapeutic
context」あるいは「指標indicator」と呼ばれるもの、があります。これらが患者からのコミュニケーションの中に出そろったときに、治療者
は介入することが適切になります。多くの場合、患者はどこか無意識的には自分が治療者の介入に必要なすべてのことは出し切ったと感じており、それでも治療
者が介入しないでいると、今度は治療者による「介入のし損ないmissed
intervention」が新たな「引き金」になり、患者は治療者に無視されたことに反応し、それを象徴するようなテーマが出てくることになるからで
す。
参加者:すると、介入する内容も、そのタイミングもすべて患者からの素材から読み取っていくということになるんですね。すべてが患者のペースにゆだねるの
であって、治療者が主導権を持つことはないということなのですか?
Dr.X:基本的にはそうです。大きな原則に「患者に先を導かせなさいLet the Patient Lead the
Way」というのがありますから。ただ、治療者が注目し介入すべきことにはある程度の優先度があります。例えば、「指標」の中でも、希死念慮や自殺企図、
治療を中断しようとしていること、強い不安などは比較的優先度が高いものです。これらの「指標」がある場合は、それ以外のもっと優先度の低い「指標」しか
ない場合に比べてより乏しい、象徴性の悪い素材からでも介入すべき状況になるでしょう。ただ、その場合でもできる限りは介入する内容もタイミングも患者か
らの導きを尊重すべきです。
一般に、介入に必要なすべての素材が出きってしまった後で、一時的に素材の象徴性の悪いコミュニケーション様式に入ることがあります。これは必要なすべ
てを出し切ってしまったから、後はあまり意味のない話をするようになるのか、あるいは患者が必要なすべてのことを言い終えたのに治療者が介入しないという
「介入のし損ない」に対して反応し始めているせいなのかはわかりませんが、いずれにしろ、この時が介入するタイミングになります。
解釈的介入の内容は、派生複合体に含まれているテーマのすべてを、順序良くつなげて、分かりやすく示すだけです。つまり解釈的介入における治療者の機能
は、まさに最初はバラバラであったイメージ群を特定の「治療者・患者関係の問題」というテーマを軸に、つなぎわせ意味を持たせていくことだけにあります。
別の言い方をすると、「アルファ機能」そのものです。顕在的・直接的な言語表現で患者に分かりやすく伝えるためには、解釈は一般に次のような形をとりま
す。まずどんな「引き金」があるかを言います。多くのケースでは患者はちらっとでも顕在的に現在の治療者・患者関係のことを気にしていることを言うもの
(これをbridge to the
therapyと呼びます)ですので、それと「引き金」を象徴するものとをつなぎあわせることになります。次に、その「引き金」に対して患者がどのように
それを捉え反応しているかを象徴する「派生複合体」の中心部分にあるイメージからテーマを抽出して提示します。さらに、もし患者の話の中に「修正モデルの
提示」も含まれていれば、それも含めるようにします。最後に、だから治療者はどう行動しようと考えたかを伝えます。この最後の部分は、特に患者からの潜在
的メッセージに治療者の行動の修正を促すものが含まれている場合には特に重要です。これはすでに第2章で議論したことですが。典型的には以下のように言う
ことになります:「あなたは、これこれという治療状況に言及しました。明らかにあなたはこの治療内でのこれこれのことが気にかかっているのでしょう。続い
て、あなたはあれこれという話をして、そこにはこういうテーマがありました。つまり、あなたは私がこれこれということをしたという治療状況での出来事を、
そのような感じに感じ取り、あれこれというように反応したのでしょう。またこれこれという話のテーマが示唆するように、私はもっとこれこれとすべきなので
しょう。これはもっともなことでありますし、私はそうしようと思います。」という雰囲気です。その後で、実際に解釈した通りに治療者が行動できて初めて
「介入」の全体が完成するのですが。
参加者:これは、私がこれまで持っていた「解釈的介入」のイメージとはずいぶん違うものです。私は、解釈的介入には、3つの要素が、つまり患者の生育歴上
の重要人物と患者との関係、患者の現在の対人関係、患者と治療者との関係、のパラレル関係を患者に示すことだと教えられてきましたし、そのように考えてき
ました。
Dr.X:そうですね、そのような考え方をする治療者は非常に多いのですが、これは傾聴のレベルの問題です。そのような介入は患者の潜在内容を読まずに、
顕在内容から読み取れる患者の特異的な対人関係パターンを指摘し気づかせようとすることに他なりません。
参加者:先生の言われる介入法ですと、治療者は患者の無意識的な気持ちに追従するだけであって、なんら治療的な方向性は示さず、治療者側の意志は示さな
い、ということになるようですが。
Dr.X:治療者は、患者の示す無意識的な健康希求的な要求、つまり患者側の「自分や他者を癒そうとする働きかけ」を充分に尊重し、それに従うという強い
意志を示すことになります。治療者の意志は傾聴の仕方、解釈的介入の仕方、そして何よりその後の行動の仕方において明確に現われてきます。治療者は決して
知的な解釈マシーンではなく、弱さも強さも持った1つのパーソナリティイーであることが、こうした振る舞いの中で良くも悪くも示されることになるのです。
昔Searlesが指摘したように、治療者の中にも、患者の中にも「他者を狂わせようとする働きかけ」も、「他者を癒そうとする働きかけ」もあります。
私たちの仕事は、そのうち「他者を癒そうとする働きかけ」を充分にいかすことができるよう、治療者・患者関係を扱っていくことなのです。以前も述べたよう
に治療者・患者関係においてはどちらがどちらでもなく、ある種の一体関係あるいは共生関係(治療的共生関係therapeutic
symbiosis)にありますから、治療者が患者を癒そうとすることも、患者が治療者を癒そうとすることも、ともに同じ意味であり、両者が2人の関係を
癒そうとすることに他なりません。精神療法が治そうとするのは「神経症」や「パーソナリティー障害」であり、つまりは関係性の病理ですから、患者の内的世
界を治そうとするのではなく、関係を癒そうとすることで良いのです。
<参考書>
1. Langs, R. "Resistances and Interventions" Jason Aronson
2. Searles, H. "Collected Papers on Schizophrenia and Related
Subjects" International Universities Press
第4章 初回面接
<ケース検討>
Dr.X:さて、今回は初回の面接について考えて行きたいと思います。今日は誰がケースを出しますか?
プレゼンター:私です。患者は20代の独身、人暮らしの女性患者で、拒食や過食など摂食障害症状と、情緒不安定、対人関係の問題などがあり、摂食障害と境
界性人格障害の診断で通院していたケースです。通院しているクリニックは私の行っている大学院から臨床心理士の研修を受け入れており、私も患者の前の担当
者も、その大学からの紹介で2年間の契約で研修しているのです。私が担当する前に、患者は前の担当者である心理士の週1回の面接を受けていたのですが、彼
女が研修期間を終わり辞めて別の施設に行くことになったので、私が引き継いだのでした。今回提示するのは、その最初のセッションです。
患者は前担当者との最後のセッションで、10分間ほど時間をとり、引き継ぎのために私との面接を持ちました。患者は最初は「カウンセリングはもう半年も
やってきたけど、何にもならないから、もういいです。」と言っていたのですが、最後には「やっぱりもう1度だけやってみます」と言い、私との面接に入るこ
とを希望したのでした。
Dr.X:ふん。前回のケースでもお話ししましたが、患者にとって治療者が治療者側の勝手な都合で一方的に治療を中断することは大変外傷的な体験になりま
す。本来であれば、治療者はその問題を充分に扱うべき責任がありますし、そのためには最後のセッションは極めて大切であって、例え最後の10分間でも引き
継ぎのためなどに使用すべきではなかったのです。まあ、いいです。いずれにしろ、このケースでは、患者には前の治療者との離別・喪失体験に関係した気持ち
を扱うことと、新しい治療者と始まる治療関係に関係した気持ちを扱うことの2つが、初回面接で扱わなくてはいけない問題になってくるでしょう。
一般に初回面接で扱わなくてはならないことは何ですか?まず治療の枠組みを大まかに決めて提示することです。そしていわゆる初期抵抗を扱うことです。こ
のうち後者については、その意味を詳しくこの後で見ていくことになるでしょう。
では、続きを聴かせてください。
プレゼンター:患者は面接を始めると、「先週は、前の先生とのカウンセリングでもどうにもならなかったので、カウンセリングはもういいですと言いましたけ
ど・・・」と言い、でも今は新しい治療者である私とやっていこうと思っていることを話しました。
Dr.X:何を聴きましたか?
プレゼンター:患者は私との面接に最初は抵抗感があったことを言っています。多分、何らかの抵抗感は今でもあるのだと思います。
Dr.X:他にはないですか?うん。患者は「前の先生とのカウンセリング」という言葉を使っていますね。先生とのカウンセリングに入るうえでの不安・抵抗
感と関連して「前の先生」との関係のことが出されているわけです。どういう意味でしょうか?
参加者:前の治療者に治療を中断された怒りや悲しみなどの感情が関係している可能性があります。
Dr.X:そうですね。今のところ、患者はまだどのような感情が生じているのかを話していませんから、怒りとも悲しみとも、何とも言えません。ただ、何ら
かの抵抗感に結びつくネガティブな感情が関係している可能性はあります。そのことをどこかで注意しながら話の続きを聴いていくことができるでしょう。
プレゼンター:では、いいですか?患者は、自分の悲しい、苦しい気持ちは、両親が自分の気持ちを全く分かってくれず、分かろうともしてくれないせいだと感
じていると言いました。そして、過去の思い出として、昔患者が犬を飼いたいと両親に頼んだ時の話をしました:確かに頼んだのは患者だったけれど、両親も
飼っていいと言ってくれて飼うことにしたのだ;その犬は、ちょっと気持ちが難しいところがあって、なかなか人になつかない犬だった;それがようやく患者に
慣れてきて気持ちが通じ合うようになった頃に、両親はやっぱり犬のしつけができないからと言い始めて、急に犬をとりあげて、別の人に渡してしまった;やっ
と慣れてきたところだったのに・・・と思って悲しくなった;患者がどれだけ犬の存在に心を癒されていたかを両親は全く知らなかったのだ;患者にとっては、
動物たちだけが唯一の話せる相手だったのに;そんなことは他にもあって、以前飼っていた猫が妊娠したことがあった;患者はとても嬉しくて子猫が出てくる日
を心待ちにしていたのに、両親は子どもが生まれたら大変なことになると言い始めて、ある日獣医に連れていって胎児ごと避妊手術でとってしまった;患者は悲
しくて、悔しくて、怒って、一人で泣いていたけれど、両親はそれに気づくこともなかった;もし言っても分からない人たちだろう・・・、と話しました。
Dr.X:どうですか?何を聴きましたか?
プレゼンター:患者の気持ちを分かろうとしない、気持ちを踏みにじるようなことをする両親の話です。
Dr.X:つまり、どういうことですか?
プレゼンター:動物たちとの強制的な離別のテーマもありますから、これは前の主治医との強制的な治療関係の中断を象徴しているのかもしれないと・・・。
Dr.X:そうです。ここには明らかな離別や喪失、強制的な中絶のテーマがあります。患者のそうして欲しくない気持ちを無視しての強制的な離別です。動物
の話ではありますが、妊娠中絶の話もあります。妊娠中絶は治療中断の象徴として極めて頻繁に見られるものです。患者は治療空間に抱えられて、守られて成長
していく胎児なのですが、それを中断されたことは、強制的に殺されたも同じだったのです。これで、患者が新しい先生との治療関係に抵抗感を持ってしまう理
由が、少なくとも一部は、お分かりですね。またそうなることを恐れているのです。患者は先生がクリニックの研修生であり、2年後には前の治療者と同様に辞
めていく可能性があることを知っているのですか?
プレゼンター:それは分かりません。知っているかもしれないですし、そう憶測している可能性はあります。あるいは、前の治療者がそのことを話しているかも
しれません。
Dr.X:もし患者が少しでも知っているとしたら、今回も同様に傷つけられることになる、中絶されることになるという不安は妄想的なものではなく、極めて
現実的なものです。では、続きを聴きましょう。
プレゼンター:患者は、こんなふうに、両親がやることは全く予測がつかないものだったから、すごく怖かった;今安心できているものが、次の瞬間にはどうな
るか分からないから、と言いました。続けて、患者には最近つきあい始めた女友達がいる;とてもいろいろな事に気がつく人で優しい人だと思っていたのだけ
ど、何かのことですごく不機嫌になられてしまった;そうなると患者はすごく怖くなる;自分が何か彼女を怒らせるようなことをしてしまったのだろうか?また
嫌われてしまうのだろうか?そうして見捨てられてしまうのだろうか?と考え始めると止まらなくなって、すごく不安になった;こんなふうに、患者はいつも関
係に安心できない、という話をしました。
Dr.X:どうですか?
プレゼンター:私はここで介入をしました。
Dr.X:では聴いてみましょう。
プレゼンター:私は、「あなたは、今日の私との面接に幾分かの抵抗感があることを話しました。そして患者の気持ちを分かることができず傷つけてくる両親の
話、突然に何が起こるかわからない不安な関係の話をしました。あなたは、今から始まる私との関係が、突然、あなたを傷つけるような不安なことが起こるので
はないかという不安があるのかもしれないですね。」と言いました。
Dr.X:この介入はどうでしょうか?みなさんの評価は?
参加者:いわゆる初期抵抗を解釈的に扱うという意味では良いと思います。多分、患者は新しい治療者との関係で不安があるのでしょうし、それは確かに一見平
和な関係が突然に崩れてしまう、基本的な安心感の無さに関係しているようですし。
参加者:だいたい良いのだと思います。ただ、患者はDr.Xが言われるように、前の治療者との強制的な離別体験による傷つきというテーマを話していたので
すから、よりこの問題に特定して介入した方が良かったかもしれません。
Dr.X:その通りです。介入は素材が許す限り患者の問題を具体化・特定化していくべきです。その意味では、先生のこの介入はやや非特異的な患者側の不安
を扱っているのにすぎないため、幾分かの問題はあります。患者が感じている「傷つけられる不安」の理由が、治療者に一方的に治療を中断され見捨てられるこ
とがまた起こるだろうと予測していることであることまでは特定していないからです。ただ、方向性は間違っていないですから、うまくすれば、患者はより問題
を特定化してくれるような素材をだしてきてくれる可能性があります。では、続きを聴かせてください。
プレゼンター:患者は、私との治療に不安があるかどうかは分からない;でも今日の面接に来るときに少しパニックのような不安を感じたということを言いまし
た。続けて、再び両親の話に戻り、両親の家庭内での会話は今でもどこかズレている;お互いの話も、患者の話も話半分くらいにしか聞いていないからだ、とい
う話をしました。
Dr.X:どうですか?
参加者:コミュニケーションのズレと話半分という話ですから、治療者の介入は「話半分」程度にしか当たっていない、ズレていると感じたということですか?
Dr.X:そうですね。ただ、前半では、患者は治療者の介入に確証を与えるように、確かに治療者とのセッションに来る前に不安を感じたことを話しています
し、いずれにしろ、話は半分は聞かれていることを示唆してはいます。ただ、「半分」なのです。このズレを患者が埋めようとしてくれるかどうか、続きを聴き
ましょう。
プレゼンター:患者は続けて、両親を見ていると本当に心配になる;今父親と母親は住み込みのアパート管理の仕事をしている;しかしその仕事は2年間の期限
付きの仕事なので、その後のことをちゃんと考えているのか?;会話がどこかズレてしまうあの両親のことだから、しっかりその後のことを話し合っていないよ
うなのだ;2年たったら仕事どころか住むところさえもなくなってしまうという大変さに、本当に気づいているのだろうか?患者は前にそのことを両親に聞いた
ことがあったが、あまり取り合ってくれなかった、と話してしばらく沈黙しました。
Dr.X:どうですか?先生はこの辺で介入しましたか?
プレゼンター:いえ、まだです。
Dr.X:本来であれば、介入すべきタイミングです。今の部分から何を聴きましたか?
プレゼンター:また会話のズレですか。
Dr.X:2年間という期間限定の仕事、期間限定の居場所のテーマです。おそらく、やはり、患者は先生との関係も2年間の期間限定であることを聞いたか、
正確に憶測しているか、どちらかです。そして「この問題の大変さに気づいていないのですか?これだけ訴えても取り合ってくれないのですか?」と言っている
のです。ですから、介入して、先生には取り合う気があることを示すべきなのです。
さて、素材を振り返ってみると、患者は治療者が介入するのに必要なことを全て出してきていますし、おそらく無意識的にはそのことを分かったうえで沈黙し
先生の介入を待っていることがお分かりになると思います。患者はまず治療抵抗があることを示唆して「治療文脈」あるいは「指標」があることを示しました。
そして幾つもの象徴的な話を通じて、その理由や内容を示してきました。前の治療者との関係が終わったこと、先生との関係が始まったことにも言及しています
から「適応文脈」あるいは「引き金」も明示されています。もう充分に解釈可能なのです。
参加者:例えば、どんなふうに介入しますか?
Dr.X:これまでに聞いた素材の意味をつなぎ合わせて示せば良いだけです。例えば、「あなたは、今日私との面接に来るときも不安を感じたこと、どこか私
との治療関係に入るのに抵抗感を感じているらしいことを話しました。そして前の治療者とのことにも言及し、ついで両親の話の中で、あなたの気持ちに気づか
ないで離別の辛さを体験させてしまうこと、生きている命を中絶してしまう話がありました。あなたは、前の治療者との関係でまさにこうした離別や中断に傷つ
いてきたようですし、きっと私との関係でもそうなることを不安に思っているのでしょう。そして、今、両親のもう1つの話の中で、2年間という期限付きの仕
事、期限付きの居場所の話がありました。つまり、あなたは、私との治療関係も期限付きの居場所である、同じように途中で中絶されてしまう、という不安を
持っているから、だから私との治療関係に入ることに躊躇してしまうのですね。」と。さらに、もし本当に可能であれば、患者のこれまでの話はそうしたやり方
は患者を傷つけるものであって、そうすべきではないことを示唆していますから、先生は治療者として患者の治療が終わるまでは患者の治療を一方的に中断しは
しないつもりであることを約束すべきでしょう。もし、本当にそうできるならです。
プレゼンター:いずれにしろ、私はそこまでは考えていなかったので、やはり介入しませんでした。もう時間が終わりに近かったのですが、患者は続けて、少し
胸が苦しい感じがするという事を話しました;昔もこんなことがよくあった;子どもの頃、よく喘息になっていたのだが、ある日近所のおばさんと話をしている
母親に、胸が苦しいから早く家に帰りたくて、母親の服の端をひっぱって合図したのに、気づいてくれなかった、というような話をしました。
Dr.X:これはどうですか?もうお分かりですね?
参加者:合図に気づいてくれないこと、つまり「介入のし損ない」ですね。
Dr.X:そうです。
プレゼンター:私も今から見直すと、本当にそう思います。逆に、なぜあの面接の中では気づかなかったのかと思うくらいです。ですが、実際のセッションで
は、このまま時間になり、私は結局介入することなく、終わったのでした。
Dr.X:うん、それは実に人間的な反応です。治療面接の中というのは、治療者にとっても患者にとっても、何が起こるか分からない不安でしょうがない場で
すし、そのため非常にしばしば患者ばかりでなく治療者も強い否認や抑圧の働きで物事を見えなくさせられているのです。よく精神療法の関係の論文で、患者は
転移の動きに無意識であるけれど、治療者は自分の逆転移を意識することができるかのように論じられていることがありますが、これは大きな自己欺瞞です。治
療者と患者でこういう基本的なところが異なるわけがないのです。治療者・患者関係の中で、患者にとって無意識的な自分の心の動きがあるということは、治療
者にとっても無意識的な自分の心の動きがあるということです。違うのは、ただ役割だけです。患者にはそれを意識的に知ろうとする役割はありませんが、治療
者にはその役割があります。だからといって、いつもその役割通りに自分の心を意識化できているわけではないのです。私たちには、治療者の役割として、患者
からの無意識的な援助を受けながら、それを意識化していく必要性はあるのですが。
<解説と討議:初回面接>
Dr.X:一般に初回面接というのは極めて重要であって、その次以降の面接ではそれほど問題にならない幾つかのことを扱わなくてはなりません。初回面接に
おいて治療者がやらなくてはいけないことは何でしょうか?
参加者:ケース検討のところでも出てきましたが、初期抵抗を扱うことと、治療の最初の枠組みを提示することです。
Dr.X:そうです。患者は新しい治療者との関係にいろいろな、多くは患者の基本的な病理に関連した、不安を抱えてやってきますので、患者からすればそれ
を多少でも軽くすることなしには治療関係に入ることは極めて難しいのです。治療関係に入るための条件とも言えるかもしれません。それにパスしないと、患者
は治療関係に入ってくることさえしないでしょう。実際、最初の数セッションでとぎれてしまうケースのほとんどは、初期抵抗を治療者がしっかりと理解し扱う
ことをしなかったためにとぎれてしまう印象です。
治療者がすべきことのもう1つは、最初の枠組みを提示することです。以前にお話ししたように、枠組みという概念は流動的なものですから、「最初の」とい
う言葉をつけているのです。しかし少なくともその方向性を示さないことには治療関係が定義されませんから、患者が治療関係に入るためには治療者がはっきり
とそれを示す必要があるのです。患者が恐れている対人関係を治療者・患者関係の中でもやろうとしているのですから、そこに患者を傷つけないようなルールが
ないことには、患者は当然怖くて入ってこれるわけがないのです。例えば、柔道でもボクシングでも、全ての格闘技競技には試合の場とルールがあります。それ
がないと、ただの暴力であり、相手を傷つけ、自分を傷つける極めて恐ろしいものになるからです。精神療法における治療者・患者関係も同様であり、その関係
をとりあえず安全なものと患者が感じることができる程度には枠組みとルールが必要です。それを治療者はしっかりと患者に伝えなくてはなりません。
参加者:すると、初回面接は技法的にもそれ以降の面接とは大きく異なるということですか?
Dr.X:そうではありません、基本的な技法や考え方は同じです。初回面接での「引き金」あるいは「適応文脈」はどんなことですか?新しい治療者との治療
関係に入るということです。多くの場合、これより前に治療者と患者が詳細な面接を持つことはないでしょうから、この時点での「引き金」は治療者がどんな治
療の枠組みを患者に提供しようとしているかという、枠組み関連のものになります。それに反応して、患者はいろいろな不安を生じ抵抗を示してくるのです。こ
れは初期抵抗に限ったことではなく、その後の全ての抵抗についても言えることなのですが、抵抗は治療者側の要因も、患者側の要因も、両方からの寄与があっ
て生じてくるものです。患者が抵抗を示すのには、それなりの何らかの理由があるのですが、その理由には患者の病理も関係していますが、治療者側が枠組みの
提示を通じて示してくるいろいろな病理も関係しています。ですから、基本的には、抵抗を扱うためには、その両方の問題を扱っていかないといけません。非常
にしばしば治療者は治療者側の問題を無視し、あるいは否認し、患者側の病理だけに注目しようとします。しかし患者はそうした不公正さには敏感に反応します
し、そのようなことに鈍感な治療者と一緒に治療関係を続けることに強い不安を感じることになるのです。そして、その不安はもっともな性質のものです。
今回のケースでも、最初に問題になっていた抵抗は先生との治療関係が研修という制度のために期限が決められたものであり、おそらく患者が治療者を必要と
しなくなる前に、またしても一方的に治療を中絶させられてしまうだろう、という非常に正確な読みによるものでした。治療の途中で中絶させられることは、患
者にとって大変辛いことですから、そうなることが分かっている関係に入ることを躊躇するのはもっともな話なのです。ですから、こうした現実的な枠組みの問
題を治療者側が現実的に解決することなしに治療が前進することは大変困難なのです。精神療法を行う治療者は、非常にしばしば患者の初期抵抗を安易にただの
不安空想に基づくものだと考えがちです。実際に治療者が患者を傷つけることなどあるはずないのに、患者が過去の外傷的な体験から、現在の治療者との関係に
おいても傷つけられることを不安に思ってしまうにすぎない、そういうfantasy
basedなものと考える傾向があるのです。しかし、実際は多くの場合が、現実的な治療者・患者関係の枠組みの中に、患者が不安に思ってもしかたのない
もっともな理由があるのです。それを患者の連想を聞きながら探し当てていくことが、初回面接では求められるのです。
参加者:治療者が初回面接で患者に提示しなくてはいけない、とりあえずの枠組みやルールにはどんなものがありますか?
Dr.X:ごくごく一般的なものです。つまり、面接の時間と場所と頻度、患者の自由連想と治療者の傾聴・理解の原則、料金、キャンセルの扱い、などです。
これら全ての枠組みのあり方が、患者にとっては「抵抗」のもとになる何らかの問題を含んでいる可能性がありますし、治療者はそれを注意深く、患者の連想の
素材の中に聴きとっていく必要があるのです。非常にしばしば、最初の治療の枠組みをどうしていくかという問題は、最初の数セッションにおよぶことがあり、
この間の対応を間違うと、よくある数セッションでとぎれるケースということになるようです。最初の数セッションが、その後のセッションに比べてことさら大
事だということではないのですが、最初の数セッションでもすでに活発な治療者・患者関係の問題が始まっていることを忘れないでいることが重要です。