How Does Psychotherapy Cure?

境界性人格障害に対する力動的精神療法の治療機序についての私見

精神科医 小羽 俊士
こば心療医院




プロローグ

 リカは現在27歳。この「病気」とつきあいだしてから、というよりも 「病気」と呼ばれるようになってから、もう10年くらいになる。最初は自分も周囲も「病気」だとは思わなかった。いつからこの「病気」があるのか、リカに も正確には分からない。振り返ると、物心のついた頃から「生きにくい」、「死にたい」と思う事があったように思う。
 リカの父親は一流大学を出て、大手企業に就職したエリートであった。当 時としてはめずらしく女性総合職兼重役秘書をしていた母親とは上司の勧めによる見合い結婚だったようだ。しかし、リカが知っている父親と母親は、あまり幸 福なものではなかった。父親は毎晩のように酒に酔って家の中で暴力的になっていた。母親はただ逃げ回り、時々父親の悪口をリカに聞かせるだけで何もできな かった。リカは母親を可愛そうにも思ったし、小学校の頃からは離婚をすれば良いのに、と思ったりもしたが、母親はリカがいるから離婚もできないのだ、と愚 痴をこぼして聞かせてくるのだった。リカは、ただ何もできずに、何の役にも立たずにそこにいるだけだった。自分は邪魔な存在でしかないのだと感じてもい た。重苦しく、全く無力な子ども時代だった。その頃から、お風呂の中などで一人になると「死にたい」と思っていたように思う。
 小学校、中学校の頃まではリカは成績も良く、優等生で通っていた。この 点だけでは、母親もリカのことを認めてくれ、誇らしくしてくれるのだった。しかし、高校生の時に、ちょっとしたこと、友人関係での本当にちょっとした何で もないようなことのために、リカは友人みんなに裏切られ、孤立してしまう出来事があった。今でもあれは何だったのだろうと思う。男の子のこと、子供っぽい 恋愛関係のことで、友人が傷つき、何故だかリカが悪いということになった。そんなつもりは全くなかったし、リカにはどうしてそんなに責められることになっ てしまったのか、運が悪かったのかとしか思えなかった。その後で、友人関係がもつれにもつれて、リカは孤立した。どうにもならない孤立だった。学校が居辛 くてしかたなく、今の時代のように「不登校」というのが当たり前にできていたら、きっと不登校になっていたと思う。誰かがヒソヒソ話していると、きっと自 分の陰口をいっているのだろうと不安になったし、夜も眠れなくなってしまった。集中力もなくなって、勉強もできなくなった。意味もなくイライラして、家族 に当たったりもした。そのうち、パニック発作を起こすようにもなった。それでも必死で学校には通った。リカがカッターなどで腕を切りつけ、血を流すことを 安定剤がわりにし始めたのは、その頃からだった。
 しばらくたって、リカがリストカットをしていることを知ると両親はすご く動揺した。そしてリカをひどく非難し責め立てた。少なくともリカにはそうとしか感じられなかった。ますます孤独を感じた。リストカットは増えるばかり だった。
 親に勧められて、というより半ば無理やり、17歳の時にはじめて精神科 に行った。問診表を書かされ、数分間だけ話して「うつ」だと言われて、安定剤のようなものを出された。最初から期待も何もしていなかったから、失望もしな かった。こんなものだろうと思った。まもなく、リカは処方された薬を大量服薬した。本気で「死にたい」と思ったかどうか分からない。ただ、死んでしまって も良いかな、とは思っていただろう。でも、助かった。救急病院に運ばれ胃洗浄を受けた。そして、いつものように両親に責め立てられた。生きていてもしょう がないし、誰もリカが生きている事を喜んではくれないのに、死のうとすると責め立てられる。
 そんな状態でも大学には入れた。大学生になった頃から、ますます対人関 係が苦手になった。もう誰にも心を開いている気がしなかった。いつも、演じているような自分がいるだけだった。その頃から、リカはものが食べられなくなっ た。両親からは「痩せたいからダイエットをしているのだろう」、「拒食症になってしまった」と非難された。なぜ食べられなくなったのは、リカにも本当のと ころはよく分からなかった。確かに痩せたい気持ちもあったかもしれない。でも、それだけでもない気がする。きっと、自分のような存在していてもしょうがな い存在は、できるだけ存在を小さくした方が良いからかもしれない。拒食症のような状態は、良くなったり悪くなったりしながら5年くらいは続いた。その間 も、リカはずっと虚しい気持ちでいたし、自分が何のために生きているのか分からなかったし、こんな状態で存在し続けているのが苦痛でしかなかった。時々リ ストカットもしたし、その頃にはずいぶん増えていた安定剤やら抗うつ薬やら睡眠剤やらを大量服薬もした。
 これまで5,6回医者をかえた。正直なところ、良くなっているとは思え なかった。しかし、薬がないと落ち着けないし、眠れないのは事実だった。いろいろなところで、いろいろな「病名」を告げられた。「うつ病」、「抑うつ神経 症」、「人格障害」、「境界例」、「AC」、「ボーダーライン」、あれこれ。
 今度の主治医は何というだろうか?診察が始まると、さえない中年男性の 精神科医は「どんないきさつで来られたのでしょうか?つまり、いつ頃からどんな背景の中で、どんな問題が、あるいは症状があって、今はどんなことに一番 困っておられて、どんな治療を求めてこられたのでしょうか?」というとしばらく黙り込んだ。リカはざっとこれまでのいきさつや症状の経緯を説明した。無口 な医者で、あまり何を話すべきかも言わないので、こんなことを言うべきかどうか分からなかったが、両親との葛藤、これまでの対人関係の問題のこと、これま での主治医とのうまくいかなさの問題なども話してみた。精神科医は、まずリカの「病気」は、いわゆる「境界性人格障害」あるいは「情緒不安定性人格障害」 と呼ばれるものと考えてみることができることを話した。知っている病名だった。精神科医は続けて、この問題に対しては精神療法が勧められる事、これは週1 回1時間弱程度を使い数年間かけて行っていくものであり、正直なところかなり大変な治療ではあるが、今現在は治療のための枠が空いている事もあり、患者が その大変さをおしてでもこの問題を改善したいと思うのであれば、その方法を提供できるだろう、ということを話した。
 いわゆる「カウンセリング」のこと?そんなもので自分のこの長年の苦し みが治るとは思えない気がした。それに、この精神科医は本当に信用できるのか?しかし、このままでは、このままだ。リカはずいぶん迷った後で、週1回50 分間を予約制で行う治療を始める事に合意した。
 しかし、治療が始まるとすぐにリカは後悔した。もっと正確に言うと、治 療が始まる前から後悔した。最初の予約面接の前の夜は漠然とした不安な予感のために眠れなかったほどだった。よっぽどキャンセルしてしまおうかとも思った が、何とか自分をとどめて予約時間に行く事はできた。治療面接が始まると、初診の時から無口だったこの精神科医は、なおさら無口になっていた。一体この精 神科医は何を考えているのか?私のことをどう見ているのか?どう思っているのだろうか?私ばかり喋って、相手は何も話してくれないし答えてもくれない。こ んなのは普通の人間関係じゃない。そもそもこの医者は私のことを人間扱いしていないんじゃないか?不安・緊張感や不快感ばかり高まり、すごくやりにくい面 接だった。こんな治療で本当に良くなるのか?リカは毎回不信感や不安でいっぱいになりながら、面接に来るようになった。



1.境界性人格障害とはどんな障害と考えられるのか?


(1)精神力動的な説明: 臨床的な特徴

 境界性人格障害borderline personality disorderの「境界borderline」という言葉は、もともと精神病水準psychotic levelと、神経症(健常者)水準neurotic levelとの境界線上に位置する病態水準を示す一群の患者を意味する言葉に由来しています。
 精神医学、特に力動的精神医学の領域では、「精神病水準」とは、自我境界が不鮮明になり、現実検討が失われた状態のことを意味し、健常者あるいは「神経 症水準」とは、自我境界が鮮明に保たれており現実検討がしっかり保たれていることを意味してきました。・・・といっても、専門外の方々には何のことかさっ ぱりわからないであろう言葉が連発されていますので、以下に簡単に説明します。
 私たちは、精神が健常な状態にある時は、「自分」というものの内側と外側を比較的明確に区別することができています。ある考えが自分の中で浮かんできた ら、それは自分の内的・主観的な考えであることがわかるわけですし、誰かに何かを言われたのを聞けば、それが自分の外で起こっている外的現実である事がわ かるわけです。こうして、概念的に「自分」というものを、その外側にある外的現実から区別する境界線のようなものを「自我境界」と呼んでいます。そして、 「精神病」とは、概念的には、この「自我境界」が不鮮明かした、あるいは失われた状態だと考える事ができます。つまり、ある考えが生じた時に、それが自分 の内側から生じた内的・主観的な考えであり思いつきであるのか、あるいは外的現実として自分の中に入ってきたことなのかの区別がつかなくなる状態です。別 の言い方をすると、自分の中で生じた考えと、外的現実との区別をする能力を「現実検討reality testing」の能力と言い、「精神病状態」とは、現実検討が障害されている状態である、となります。
 例えば、「自分はダメだなあ」と自分で思ったのか、あるいはそうした考えが外から入ってきた(「あいつはダメなやつだと思われている」)のか、分からな くなることです。私たちは、いわゆる健常者であっても、精神的に良くない状態になると、自分の考えを外界に投影しがちになります。気分が沈んで自信がなく なっている時は、「自分はダメな人間だ」と思ってしまうと同時に、その気持ちを周囲に投影し、「皆も私をダメな人間だと思っているんだろうな」と感じてし まいがちになります。これが行き過ぎると、「皆も私をダメな人間だと思っているに違いない」となり、「妄想delusion」と呼ばれる性質に近くなって きます。このように、「相手が自分のことをどう思っているか?」ということの評価には、いわゆる健常者であっても、少なからず投影による主観的な色付けが 入り込んできてしまうために、客観的な外的現実と主観的な内的な考えを、完全に白黒はっきりと区別していくことはできません。しかし、だいたいのところ で、外的現実をそう大きく歪めてしまわない状態であれば、「自我境界が保たれている」、あるいは「現実検討が保たれている」と言うことができます。
 現実検討が著しく失われた状態、言い換えると自我境界が著しく失われた状態として、幻覚妄想状態があります。自分の中に生じた考えばかりでなく、自分の 中に生じた知覚的な感覚でさえ、それが自分の中に生じた内的なものなのか、外的現実から与えられたことなのかが区別できなくなり、「幻聴」や「妄想」に なってしまうもので、主に統合失調症の急性期に見られるものです。
 しかし、「幻覚妄想」と言うほどに激しい現実検討の障害を示していなくても、もう少し微妙に障害されている事があります。この場合、主には対人関係の感 じ取り方に、それが現れてくる事が多くなります。なぜ、対人関係に表れやすいのかというと、おそらく、対人関係というのは、微妙なコミュニケーションのや り取りによって成り立っているために、そして相手のコミュニケーションの意図を読み取る事に少なからず受け手の主観による色付けが入ってしまいがちなもの であるために、つまりは曖昧性の高いものであるために、微妙な現実検討の障害の影響を受けやすいからではないかと思われます。いずれにしろ、先ほどの例に もあげたように、いわゆる健常者であっても、自信がなくなっている時には、そうした自分のネガティブな気持ちを相手に投影し、相手の言動から自分への評価 をネガティブにとらえてしまいがちになります。「あの人が、今そっけなかったのは、私のことを嫌っているからではないか?」、「ふと、嫌そうな、面倒くさ そうな顔をした。もう私のことなどどうでも良いと思っているのだ」、「私に何もいわないのは、私をダメな人間だと思ってあきれているのかも?」などなどで す。これまで、何度もしつこく「いわゆる健常者であっても」と言ってきているように、人は誰でも心理的なストレスを受け、あまり良くない精神状態に追い込 まれると、多かれ少なかれ現実検討がやや障害されてきます。主観的な考えに支配されやすくなります。しかし、こうしたストレス時の現実検討の障害のされや すさについては、大きな個人差があり、ある一群の人たちは、比較的軽微な心理的ストレスのもとで、比較的頻繁に、日常的に現実検討が微妙に障害されること が分かっています。これは「性格的」と言えるような、その人の持続的な対人関係あるいは認知機能のスタイルとして、存在する問題になります。それがあまり にも強く、その人の社会生活に大きな不利益を与えるもの、「生き辛さ」の要因になってしまっているもの、となった場合「障害」という疾患名がついてきま す。これが「境界性人格障害」です。
 つまりは、「境界性人格障害」とは、持続的な対人関係・認知スタイルの問題として、微妙な現実検討の障害を生じやすい傾向に付随する生き辛さの問題、と いうことになります。さきに述べたように、微妙な現実検討の障害の問題は、主に対人関係において顕在化してきますから、この障害をもつ人たちは、多くの場 合対人関係が非常に不安定になりがちです。この疾患を持つ患者にとって「他者」の気持ちは、患者本人のネガティブな気持ちに強く影響されて歪曲されがちに なるために、多くの「誤解」を生じます。こうして「他者」像は非常に不安定であり、一貫性のないものになります。さっきまでは「いい人」だったのが、急に 「最悪の悪魔のような人」になることもしばしばです。また、私たちは「自分」を他者との関係の中に定義していきますから、患者の「自分」像も非常に不安定 です。「自分」がどんな人間であるのか、何をしたいのか、他者との関係でどんな気持ちをもっているのかさえ、時に分からなくなります。こうして、他者との 関係が非常に不安定であるために、多くの患者は慢性的な孤独感、空虚感、周囲の世界との違和感を感じています。このため、自分と少しでも通じる事ができそ うな相手を見つけると、「この人なら分かってくれるかもしれない」という相手と出会うと、その相手にしがみつくことが多くなります。患者にとっては、孤独 な世界の中で唯一のつながれる対象ですから、その相手は世界そのものになるのです。つまり、その相手を失う事は、世界を失う事と同じであり、自分が消えて しまう事と同じになってしまいます。このため、多くの患者は、その特定の相手から「見捨てられてしまう事」を極度に恐れ、そうならないようにするためな ら、あらゆることをしようとしてしまいがちです。
 こうして、多くの「境界性人格障害」の患者は、米国精神医学会の診断基準DSM-IVに列挙されている幾つかの行動上の特徴を示す事になります。DSM -IVには、患者の特徴として、アイデンティティーが障害されていること、強い見捨てられ不安があること、非常に不安定な対人関係のパターンを繰り返す 事、慢性的な空虚感があること、自傷行為などの非適応的・自己破壊的な行動パターンを繰り返す事、などがあがっていますが、それは上記のような訳であると 考えられています。

 精神力動的精神医学の領域では、こうした「境界性人格障害」あるいは古くは「境界例borderline case」と呼ばれていた一群の患者について、「現実検討の微妙な障害」以外に、幾つかの特徴も注目されていました。その1つは妄想・分裂メカニズムであ り、もう1つは投影同一化メカニズムですが、これらの概念は密接に関連しているものでもあり、また臨床的・治療技法的に非常に重要な意味合いを持っている ので、ここで少し詳細に議論してみます。
 妄想・分裂メカニズムparanoid/schizoid mechanismとは、主に現実検討が境界水準にある患者においてしばしば見られる、心的葛藤の処理メカニズムでした。人は、自分の心の中に嫌なもの、 不快を引き起こす内容があると、それを何らかの防衛機制defense mechanismによって処理しようとします。有名なところでは、「思い出せなくしてしまう」抑圧repression、「なかった事にしてしまう、気 づけなくしてしまう」denial、などがあります。妄想・分裂メカニズムという言葉のうち、「妄想」とは、簡単にいうと「相手のせいにしてしまう」に近 い考え方です。自分の中にある嫌な考え、嫌な性質、不快を引き起こす内容を、相手の中に押し込んでしまうのです。自分の中には「嫌なもの」はなくなります が、相手の中に入ってしまうので、今度はその外在化された「嫌なもの」からの迫害的な不安を感じる事にはなります。しかし、「嫌なもの」が自分の中にあ る、自分そのものが嫌なものであることによる不安や不快感に比べると、外在化された「嫌なもの」から迫害的な不安を感じている事のほうがまだずっとマシで あるために、この防衛機制は非常に有効に作用します。患者は、非常に不思議な独特のコミュニケーション様式によって、自分と情緒的な交流を持つ相手の気持 ちの中に、嫌な感情を押し込み、相手を嫌な気持ちにすることがあります。こうしたコミュニケーションの仕方(これはコミュニケーションの仕方であると同時 に、自分を楽にするための防衛でもあるのですが)を、投影同一化projective identificationと呼んでいます。相手の気持ちの中に押し込まれた「嫌な感情」は、相手に同一化され、相手は嫌な感情を持つようになります し、投影的に押し込んだ患者の方も、それでもいまだにその感情と同一化しているので、迫害的な不安を感じる事にもなります。よく臨床場面で、治療者・看護 者が境界性人格障害の患者と関わっていると独特の「嫌な感じ」になるのは、この投影同一化というコミュニケーションプロセスが活発に行われているためだと 考えられています。患者が感じていた怒り、失望感、無力感、見捨てられ感、などの「嫌な感情」が投影同一化的に援助者に伝わってきて、援助者自身が「嫌な 感じ」になるのです。たいてい、「嫌な感じ」にさせられたと感じた援助者は、意識的にも無意識的にも、患者に対して何らかのネガティブな気持ちを抱き、反 撃しようとしてしまいがちです。こうなると、援助者は本当に患者にとっての「迫害者」となり、患者の迫害不安が現実の対人関係の中で実現することになりま す。患者が相手の中に押し込んだ「嫌なもの」は、実際に迫害的に患者に押し戻されてこようとするのです。
 ここまでが「妄想」メカニズムの説明でした。「分裂」メカニズムはもう少し複雑で難しい概念になりますが、簡単に言ってしまうと「嫌なもの」を含め、全 ての思いをバラバラに断片化し、曖昧化し、無意味化し、なくしてしまう防衛メカニズムです。どんなに不快で嫌な思いがあっても、それを感じる、理解する心 がなくては、あまり脅威にはならないのです。「分裂」という防衛メカニズムは、心そのものを破壊し、無意味化し、感じられなくするという意味で、非常に強 力ではありますが、自己破壊的なメカニズムでもあります。確かに、苦痛は非常に有効に無意味化され、なくなっていきますが、そのかわり、何もなくなってし まうのです。「意味」とは、つながりで形成されています。ある事象とある事象がどのようにつながっているか、で意味が生じます。人と人とがどのようにつな がっているかで意味のある関係になります。こうした概念間のつながりも、人と人とのつながりも、全てを破壊し、バラバラにすることで無意味化することが 「分裂メカニズム」です。そして、分裂メカニズムそのものも、投影同一化プロセスによって、情緒的交流をしている相手の中に押し込まれる事になり、相手の 中にある意味を感じる能力も障害されていくことも起こってきます。さらに、相手の中に押し込まれた破壊的なメカニズムは、再び「迫害者」として患者に戻っ ていく事にもなりがちです。
 患者が対人関係を正確に捉える事ができずに、非常に主観的な色付けをされた認知(誤解)をしてしまうのは、1つには、こうした妄想・分裂メカニズムが活 発に働いているために、対人関係認知が漠然としたものになってしまっているからとも考えられます。また、患者自身漠然と(意味を幾分かでも無意味化して) 認識したままで相手とコミュニケーションをしようとするために、コミュニケーションの送信者としても非常に漠然とした内容を相手に伝える事になり、誤解を されてしまう要因にもなっているのでしょう。精神力動的には、境界性人格障害の患者は、非常にしばしば、こうした妄想・分裂メカニズムが活発に働いている 精神状態で他者との交流を持っている事が指摘されてきていました。このようなメカニズムが活発に働いている事で、現実検討が障害されてしまうのだと考えら れてきたのです。

(参考書)
APA(米国精神医学会). Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders Fourth Edition. 1994
Kernberg, O. Severe Personality Disorders. Yale University Press. 1984
Kernberg, O. Internal World and External Reality.  Jason Aronson. 1985
Gabbard, O. Psychodynamic Psychiatry in Clinical Practice.  American Psychiatric Press. 1994
Klein, M. メラニー・クライン著作集3:愛、罪そして償い.  誠信書房. 1983
Klein, M. メラニー・クライン著作集4:妄想的・分裂的世界. 誠信書房. 1985
Bion, W. Learning from Experience. Karnac Book. 1964
Bion, W. Cogitations. Karnac Book. 1992


(2)「生まれ」なのか、「育ち」なのか?: 力動的精神医学と生物学的精神医学の交点

 境界性人格障害の「原因」は何なのか?つまり、境界性人格障害と呼ばれるようになる人たちが、そのような「人格」になるのは、生まれ(体質、遺伝的要 因)なのか?それとも早期の親子関係など養育環境に問題があったことなどによる育ち(後天的、学習的要因)なのか?といった議論はずっと続いていました。
 統合失調症でも、小児自閉症でも、最初は「育ち」の問題と考えられていた時代があったように、境界性人格障害においても、最初は「育ち」の問題がより重 要視されていました。
 特に言われていたのが、早期乳幼児期の親子関係の葛藤的状況の問題です。精神力動的精神医学の世界では、いろいろな精神障害を発達モデルで考える習慣が ありました。ヒステリー(解離性・転換性障害)を発達段階であるエディプス期の葛藤未解決の問題と考えるなどです。同様に、境界性人格障害を乳幼児期の共 生期/分離個体化期の葛藤未解決の問題と考えるモデルがありました。子どもは、乳幼児期に母親と心理的には一体である時期から、次第に「自分」というもの を発見し、自分の身体を動かし一人で歩いていく時期に移行します。この時、子どもには自立・自律性への強い欲求とともに、分離する事への強い不安もあり、 一種の葛藤状況にあると考えられる訳です。こうした葛藤を抱えている子どもに対して、母親がうまくその葛藤に共感し適切に対応することで、子どもが適切に 葛藤を解消して母親との一体関係から分離していく事ができることを促す事になると考えられますし、母親が(主には母親自身の分離への不安から)うまく対応 できないと、子どもの分離プロセスが失敗し分離不安を抱えたまま、未解決のまま成長していくことになってしまう、と考えました。このマーラーの分離個体化 期モデルは、境界性人格障害患者に見られる、「最高の関係all good」と「最悪の関係all bad」の両極端を揺れ動く対象関係の不安定さの問題も、分離不安・見捨てられ不安の問題も、特徴的な「しがみつき」行動や依存性の問題も、非常に分かり やすく、うまく説明しているように見えました。

 その後、幾つかの後ろ向き研究retrospective studyによって、境界性人格障害と小児期の虐待などの心理的トラウマとの関係が取り沙汰されました。幾つもの研究の結果、小児期に親による身体的虐待 や性的虐待を受けた人は、成人してから境界性人格障害と呼ばれるような特徴を示す事が多い事が示されたのです。こうしたことから、境界性人格障害と呼ばれ る状態は、実は心的外傷により形成された独特の対人関係や認知様式の障害ではないのか?といった議論に発展し、van der KolkやHarmannらは、境界性人格障害を心的外傷後ストレス障害PTSDの一種であるとする、複雑性PTSD complex PTSD概念を提唱しました。
 しかし、この結論には実は多少問題があり、研究の結果が示しているのは、小児期の虐待歴と境界性人格障害的な特徴の間には「相関がある」ということで あって、そこに因果関係があるということではないのです。ここでも「生まれか」「育ちか」の議論が起こってきました。つまり、小児期に虐待を受けるという 劣悪な生育環境に育ったことが原因で、後に境界性人格障害と呼ばれるような問題を生じたのか?あるいは、子どもに虐待をしてしまうような親の気質の遺伝 的・体質的要因を受け継いでいることが原因で、後に境界性人格障害になってしまうのか?という議論です。
 こうした「生まれか」「育ちか」の議論は、精神科領域ではこれまで統合失調症やうつ病などでもありました。そして、その解答は「双子研究twin study」と「養子研究adaptation study」という疫学的常套手段によって解決されてきました。境界性人格障害についての同様の疑問も、実は双子研究によって、ほぼ解答が出てきていま す。結論としては、現在では、境界性人格障害の問題は、「育ち」よりも「生まれ」の要因が大きいであろうことが示されています。(ここで、「生まれ」の問 題、つまり体質的・遺伝的要因が主な原因であるというのならば、治らないということではないか?と早合点しないように注意してください。後に示すように、 原因はどうであれ、境界性人格障害に対しては幾つかの精神療法が治療として効果的であることが科学的に証明されてもいるのです。)

 境界性人格障害について、最近の脳科学、認知神経心理学の分野から分かってきたもう1つの事実があります。それは、いわゆる「前頭前野機能」の低下の問 題です。おそらく、既に多くの方がご存知のように、私たちの大脳は部位によって機能が分かれています。例えば、多くの人では左側の側頭葉に言語の中枢があ り、その前の方が言語を発する機能、後ろの方が言語を聞き取る機能を持っています。後頭葉には視覚の中枢があり、中心溝と呼ばれる溝から前が全般的な運動 を、後ろが全般的な知覚を司ります。「前頭前野prefrontal cortex」と呼ばれるのは、中心溝から前にある前頭葉と呼ばれる部位の、さらに前の方に位置する部位です。大脳のこの部分は、「人間が人間らしく生き る」ために、非常に重要な役割があると考えられています。この部分が司る機能は、よくexecutive functionと呼ばれ、日本語では「実行機能」、「遂行機能」などと訳されていますが、要するに、脳のいろいろな機能を統合し、計画的に、物事を遂行 する調整をしていく機能です。オーケストラで言えば指揮者の役割であり、軍隊では指揮官の役割です。脳のこの部分は、物事を要領良く、計画的に、思慮深く 実行していくために必要であり、この部分が障害されてしまうと、計画性に欠け、思慮深さに欠け、衝動的な行動パターンが目立つようになってしまいます。ま た、対人関係認知にも重要な役割を果たしていることも知られており、共感性や微妙なコミュニケーションの受信・送信に必要なことも示されています。その部 分が、境界性人格障害においては機能低下している、ということが分かってきたのです。
 脳は、非常にエネルギー効率が良く動くように出来ており、脳の中でよく働いている場所には多くの血流が流れ、あまり働いていない場所では血流が低下す る、という自動的な血流調節機能があります。ということは、脳の各部位の血流がどれだけかを調べれば、その時に脳のどの部位がどの程度使われているかが分 かるのです。この方法によって、境界性人格障害の患者や、衝動コントロールに問題のある人たちは、前頭前野の血流が低下していること、つまりは前頭前野の 機能が低下していることが示されたのです。
 さらに、前頭前野の機能を反映すると考えられている幾つかの神経心理学的な検査があります。その中でも、概念形成や思考の柔軟性を調べるテストを行う と、境界性人格障害患者では、健常者に比べて、明らかにそうした機能が低いことが示されています。境界性人格障害の患者は、一般に知能全体としてみると低 くはないことが普通ですし、非常に知能レベルの高い人もいます。そういう患者でも、前頭前野機能を反映する、概念形成や思考の柔軟性を見るテストを行う と、驚くほど成績が低く出るのです。これは一体何を意味するでしょうか?
 前頭前野の機能が低い、という事実は、境界性人格障害の患者に見られる臨床上の特徴に非常によく当てはまります。前頭前野機能の1つである衝動コント ロールが悪いために、この疾患患者によく見られる爆発的で衝動的な行動パターンにつながります。物事を計画的に遂行していくのが困難で、ついつい衝動的な 行動にとびついてしまいます。はたから見ていると、どこか無計画で思慮深さに欠ける行動になってしまうでしょう。短期的には刺激的で「快感」に感じられる が、長期的には明らかに自分に不利になってしまうことを、しかし我慢できずにしてしまう傾向は、神経心理学的検査でも示されていますが、少なからぬ患者が こうした問題を抱えています。中には、病的なギャンブル嗜癖になっていたり、対人関係嗜癖(「恋愛中毒」)になっていたり、買い物嗜癖(「買い物依存 症」)になっていたりする人もいます。前頭前野機能は、他者との共感的なコミュニケーションに必要であるのですが、この機能が弱いことによって他者との情 緒的なコミュニケーションが効果的に行われる事が難しくなってしまっていることも、臨床的な事実に一致します。私自身が行った研究によっても、境界性人格 障害の患者は、特に主観的な体験について、非常に漠然ととらえてしまう傾向があり、しかもそれを非常に漠然としてしか他者に伝える事ができないために、相 手に十分には伝わりにくい、非効果的なコミュニケーションをしがちであることが示されています。このために、他者に誤解を与えやすく、また他者の気持ちを 誤解して捉えやすく、コミュニケーションにずれを生じてしまいやすいでしょう。また、このように他者との情緒的な交流が効果的にできないことから、孤独感 や孤立感、他者との違和感を感じやすいことになってしまうでしょう。さらに、自分自身の気持ちについても、他者の気持ちについても、漠然としてしか認識し ていないことが多いために、自己イメージも、他者イメージも、漠然としていて、一貫性のないものになりがちなことも、容易に推測できます。
 前頭前野機能の低さだけで、境界性人格障害の問題を説明しようとしていることに、異論がある方もいるのではないかと思います。前頭前野機能が低いのは、 境界性人格障害に限った問題ではないからです。統合失調症ではもっと前頭前野機能が低いですし、自閉症スペクトラム障害でも前頭前野機能が、少なくとも一 部は、もっとより大きく障害されています。単純な知的障害の人も、脳の他の機能も低いですが、前頭前野機能も低いのです。じゃあ、なぜ境界性人格障害の患 者ばかり、あのように強い「辛さ」を訴え、「空虚感」や「見捨てられ不安」を訴えるのでしょうか?私は、この点については、前頭前野機能の低さの問題と、 他の機能の良さのアンバランスさが、辛さの原因の1つになっているのではないかと考えてもいます。例えば、自閉症スペクトラム障害の患者のうち、特に知能 が高い人たちを高機能自閉症と呼んだりするのですが、彼らは全般的な知能が障害されてしまっている「普通の」自閉症の患者に比べて、圧倒的に「生きにく さ」を訴えます。アンバランスなのです。「普通の」自閉症の患者は、機能の低さから来る問題も強いのですが、それを「辛い」と感じる機能も強く障害されて いるために、あまり辛さを体験せずに済んでいるようなのです。それに対して、機能の高い自閉症患者は、自分の自閉症的な機能の低さの辛さを、比較的十分に 感じる事ができることから、周囲の人たちとの違和感や、コミュニケーションの通じなさ、対人不安といったことが問題になってしまうのです。前頭前野機能が 低下してしまうことが知られている統合失調症の患者も、障害の程度が比較的軽度な患者の方が、より「辛さ」を感じやすいようである印象を、私は持っていま す。彼らは、境界性人格障害の患者がそうであるように、やはり漠然とした孤独感、周囲の人たちとの違和感、見捨てられ不安、などを強く訴えますし、そうし た「辛さ」に対する(非適応的ですが)対処行動として、自傷行為などの衝動行為に走りがちであるようです。境界性人格障害では、こうした軽症統合失調症の 患者よりも、もっとはっきりと自分の「辛さ」を感じる機能が生きていますから、もっとより強烈に「生きにくさ」を体験することになってしまっているのでは ないかと考えられるのです。

 さて、境界性人格障害が、「育ち」の問題というよりも、むしろ「生まれ」の問題の方がより大きな要因である事、前頭前野機能の低下という問題を持ってい る事、などを考え合わせて、では、境界性人格障害とは一体何なのだろう?ということをもう一度整理し直してみたいとおもいます。古くから言われているよう な意味での、単純な「育ち」の問題ではないことは明らかです。今でも、この疾患については、親の育て方がいけなかったのだ、とか、しつけの問題だと言って いる人が、援助職にある人もいますが、とんでもない時代遅れの考え方です。ただ、前頭前野機能の低下という生得的な性質が、早期の親子関係に不利な影響を 与え、親が適切に子育てをしていくことを困難にし、子どもが適切に対人関係能力を伸ばしていく事を困難にし、患者の劣等感・不適切感・自己不全感を強めて しまってきた可能性は、少なからずあるのです。
 ここから先は、今まで述べてきたような事実を考慮しての、私の推論になります。おそらく、境界性人格障害になってしまう人は、生まれつき前頭前野機能が 低い体質的な要因を持っているのです。ただ、これは、これだけでは、生まれつき太りやすい体質だとか、生まれつき運動神経が良い体質だとか、生まれつき身 長が伸びやすい体質だとか、いうのと同じくらいの意味でしかありません。その後、本当に太った人になるか、運動神経抜群の人になるか、背の高い人になるか は、その後の生育環境にも影響されるでしょう。ただ、前頭前野機能が生まれつき低いことは、おそらく早期の親子関係に困難な影響を与えるのではないかと思 えます。これはchild to parent interactionと呼ばれるもので、生まれつき「育てにくい子ども」というのは存在するのです。ぐずりやすかったり、癇癪を起こしやすかったり、何 らかのしかたで気持ちを伝えるのが得意ではない子どもたちです。そのような子どもを相手にすると、特に養育技能がひどく劣っている親でなくても、なかなか 適切な養育行動をとることが困難になります。そして親が適切な養育行動をとれないと、子どもはますます「育てにくい子ども」の行動をするようになります。 こうして悪循環が始まります。さらに問題なのは、境界性人格障害の患者の親は、少なからず同じような性格的、気質的特徴を持っていますので、子育てによる フラストレーションに適切に対応する事が困難である事が少なくありません。こうして、親子間のコミュニケーションがずれがちの親子関係が生じやすくなりま す。
 運動機能は経験によって発達していきます。対人関係のコミュニケーションも同様であると考えられ、適切な刺激を受け、適切なコミュニケーションをやり取 りすることで、他者と効果的に情緒交流をする仕方を、子どもは学習していき、対応する脳の部位が発達することになっていくのでしょう。ところが、もともと の前頭前野機能の低さの問題もあり、そこに親子間のコミュニケーションのうまくいかなさが解消されずに続いてしまうと、さらに前頭前野機能の発達が悪く なってしまう事が推測されます。自分の心にしても、相手の心にしても、「心」というものをしっかり捉える事ができず、漠然としたままで処理し、コミュニ ケーションしてしまう傾向は、その後もずっと続き、大事な部分で他者と交流できないまま成長していくことになります。もともと、主観的な体験を漠然と捉え てしまう傾向がある人にとって、「妄想・分裂メカニズム」という防衛機制を使う事は非常に容易なことでしょうから、他者とうまく通じあえないことから来る 「辛さ」は、その辛さの意味合いを漠然化してしまうことで、軽減されてしまいます。ただ、そのために、さらに物事を漠然としてしか認識しない傾向に拍車が かかり、さらに他者との情緒的交流が困難なままで持続することになり、問題をより深刻化・長期化してしまうことになるのでしょう。幼少期から、ずっとこの ような漠然としていて、孤独な世界に住み続けていたために、患者は思春期以降も自己のアイデンティティーも、他人についての一貫性のある見方も、うまく発 達させることができず、自分の気持ちもわからないし、相手の気持ちもわからない、という特徴的な症状につながるわけです。特に主観的な体験領域において、 他者と効果的なコミュニケーションができないために、独特の孤独感、空虚感、抑うつ感が持続する事になるでしょう。誤解をしやすく、されやすい認知・対人 関係行動パターンがあるために、対人関係での葛藤を生じやすく、さらに生じてしまったトラブルを解決するスキルも高いものではないために、対人関係は非常 に不安定なものになりがちです。そんな中で、時々「この人なら、私のことを分かってくれるかもしれない」という相手に出会うと、孤独な世界の中で唯一の通 じる対象になり、その相手が世界そのものになってしまうのは、非常にもっともな話です。しかし、多くの場合、実際にはその相手も、そこまで特別な能力のあ る人間ではないため、どこかでコミュニケーションにずれが生じて、「分かってくれない」現実が出てきます。「分かってくれない」という裏切られ体験は、気 持ちをはずされた、あるいは自分の気持ちを見捨てられた、という体験になり、相手に対する強い失望感、怒り、見捨てられ感として、そのまま相手にぶつけら れる事が多いのでしょう。投影同一化メカニズムによって、こうした「嫌な感情」をぶつけられ、感じさせられた相手は、多くの場合、いつかは本当に嫌になっ てしまい、現実的に患者を見捨てる行動にでることになります。そして、患者にとってはこの世の終わりと同じ、とてつもない破局的な結末を死に物狂いで回避 しようと、いろいろな行動にでるのですが、それらは多くの場合、はたから見ると衝動的で、計画性に乏しく、長期的にはより不利になることが明白な行動に なっている・・・、というお決まりの臨床経過をたどる可能性が高くなるのです。

 では、境界性人格障害とは、そういう問題だとして、治療的にはどうするのが良いのでしょうか?治療では、実際には何をしているのでしょうか?治療は、前 頭前野機能の問題に対して、コミュニケーションのずれの問題に対して、物事を漠然と認識してしまう問題に対して、一体何をしているのでしょうか?どんな意 味合いがあるのでしょうか?それをこの次のセクションで見ていきます。

(参考書)
Mahler, M. Separation-Individuation. Jason Aronson. 1979
Masterson, J. The Narcissistic and Borderline Disorders. Brunner/Mazel 1981
Goldberg E. The Executive Brain. Oxford University Press. 2001
Fonagy, P et al. Affect Regulation, Mentalization, and the Development of the Self. Others Press. 2002
LeDoux J. Synaptic Self.
Skodol, A, et al. The borderline diagnosis II: Biology, genetics, and clinical course. Biol Psychiatry, 2002; 51: 951-963
Johnson, J. et al. Childhood maltreatment increases risk for personality disorders during early adulthood. Arch Gen Psychiatry, 1999; 56: 600-606


2.境界性人格障害に対する精神療法の治療では、本当には何が起こっているのか?


 以前のこの欄で、境界性人格障害に対する治療としての「力動的精神療法」、「精神分析的精神療法」は、古典的な意味での「洞察」を指向する治療ではな く、治療者・患者関係に展開してくる対人関係の問題(対人関係の不安)に対する一種のexposure and response preventionを繰り返し行う行動療法として見直してみる事ができそうなことを論じました。つまり、こういうことです。境界性人格障害の患者におい ては、対人関係での問題的な刺激/反応パターンが、過去の両親との関係、現在の親密な誰かとの対人関係、などであったように治療者・患者関係でも生じてき ます。治療者・患者関係では、特殊な治療契約のもとで、治療者・患者関係に何らかの不安や問題が生じても、それによって関係が壊されてしまう事も、不適切 な適応パターンをとる事も、それ以外の対人関係の時のようにすぐにはなされなくなり、1つ1つしっかりと見つめ、考えていき、対応していくことを(治療者 も患者も)促されています。こうして、患者は治療者・患者関係の中で、何回も、嫌な事があったり、不安なことがあったり、傷つけたり傷つけられたりするこ とがあっても、それがどうにもならない破局的なものにはならないことを体験していき、それに関連する不安が行動療法における暴露療法と同様な仕方で軽減 (行動療法の用語では消去extinctionと言いますが)されていくことを体験していく、と考える事ができます。では、「洞察」は何のためにあるの か?「力動的精神療法」や「精神分析的精神療法」で非常に重視される「解釈interpretation」という介入は何のためにあるのか?ということで すが、これは患者には「否認denial」と呼ばれる防衛機制があり、治療者・患者関係に生じている出来事をしっかりと感じる事ができなくなっていること から、こうした介入によって「治療者・患者関係で起こっている出来事をしっかりと感じる事」を促進することが大切になってくるということが関連していると 思われます。以前のこの欄での議論では、このことに関連した議論が少し弱かったので、今回はこの点を少し詳細に議論してみたいと思います。

(1)境界性人格障害に対して有効性を確認されている精神療法の特徴

 これまで、境界性人格障害に対する精神療法としては、精神力動的精神療法(精神分析的精神療法)と、Linehanらが提唱する弁証法的行動療法 Dialectic Behavior Therapyが、その治療効果を科学的に証明されてきました。以前のこの欄でも議論しましたように、これらの治療は、全く違った理論背景から出発してい るにもかかわらず、非常に似通った特徴があります。
 まず、患者が主には治療者との治療関係の中で何をどのように感じたかをしっかり見直していく治療作業を重視し、その中で患者の感じ取り方や反応の仕方で もっともである部分はもっともであると認めていく事が重要であると考えていることがあります。弁証法的行動療法では、これをvalidationと呼び、 治療者のすべき介入の中で最も重要なものとして位置づけています。一方で、精神分析的精神療法では、主には治療者・患者関係(これを転移関係と呼ぶ事が多 いです)の中で、治療者の言動を、あるいは治療者のつくる治療環境を、患者がどのように感じ取り、どのように意識的・無意識的に反応したのかを、その無意 識的な反応部分にまで範囲を拡大して、見ていき、「解釈interpretation」と呼ばれる介入によって患者に返していく作業を繰り返します。むろ ん、精神分析的精神療法では、こうした「解釈」という介入を、治療者のすべき最も重要な介入として位置づけていますし、解釈に関連した患者の気づきや、そ の気づきにもとづく行動上の変化を重要な治療的作業として考えています。
 次に、治療過程の中で、患者が治療を阻害するような動きをしてくることに対して対応する事を重要視している点でも共通しています。境界性人格障害の患者 は、多くの場合、治療に入ってしばらくすると、「治りたい」「良くなっていきたい」気持ちと同時に、「病気でい続けたい」気持ちもあることや、「生きた い」気持ちと同時に「死んでしまいたい」「すべてを台無しにしてしまいたい」気持ちのあることに、自ら気づくようになりますが、ほとんど全ての場合に、何 らかの仕方で治療の進行を阻害するような行動をするようになります。しかも、治療の進行を阻害してしまうという一見矛盾した行動をするのは、患者だけでは なく、治療者も同様に何らかの仕方で(ほとんど無意識的になのですが)治療の進行を阻害するような言動に出てしまう事があります。弁証法的行動療法では、 こうした動きのことを「治療阻害行動 therapy interfering behavior」と呼び、さらにこれを「患者による治療阻害行動」と「治療者による治療阻害行動」に分けています。そして、治療作業の中で、「治療阻害 行動」を解決していくことが、最も優先順位の高い標的行動 target behaviorということになっています。同様に、精神分析的精神療法では、同じ問題を「抵抗 resistance」と呼び、これには患者による抵抗(狭義の「抵抗」)と、治療者による抵抗(「逆抵抗 counter-resistance」)が含まれ、その相互作用を理解し、解釈し、解決していくことが治療作業の中心とすべきこととなっています。
 他にも、治療に比較的明確で確固とした枠組みがあること、定期的な(通常1週間に1回から3回)面接を行っていくこと、1年から数年の長期におよぶ治療 期間が必要なこと、などの点でも共通しています。
 さて、今回特に注目したいのは、治療作業の中で非常に重要視されている治療者・患者関係の中で患者の気持ちに対して共感的な介入を行う事についてです。 弁証法的行動療法ではvalidationと呼ばれる介入であり、精神分析的精神療法では「解釈」と呼ばれる介入です。こうした介入を行うためには、当 然、患者が(主には治療者・患者関係の中で)何をどんなふうに感じて、どのように情緒的に反応したか、ということを治療者が十分に理解しなくてはなりませ ん。治療者が十分に理解するためには、少なくともある程度は、患者が自分自身の中で起こってきている気持ちや考えを、しっかりと見つめ、表現できなくては なりません。境界性人格障害の患者は、ほとんど全ての場合で、この「自分自信の中で起こってきている気持ちや考えを、しっかり見つめ、表現すること」が非 常に苦手です。多くの患者は、先に境界性人格障害患者の認知・コミュニケーション様式の特徴のところで述べたように、物事を漠然と捉え、漠然としたままコ ミュニケーションする傾向があるのです。ですから、非常に矛盾するようですが、治療のためには患者は自分自身の主観的な気持ちについて、しっかりと捉え、 治療者に伝えていかなくてはならないのですが、そうできるようになることが治療目標の1つでもあるのであり、最初からそうできるようであれば、多分その人 は境界性人格障害の治療など必要ないのです。患者は、普段の対人関係の中では、おそらく非常に漠然とした認知やコミュニケーションの仕方のままで進めてい るのです。しかし、治療関係の中では、漠然としたことを漠然としたままにしておくことは許されず、主観的な体験としてできるだけしっかりと感じ、治療者に コミュニケーションしていくことが求められてきます。これは、Linehanら提唱する弁証法的行動療法では、「思慮深さのスキル」Core Mindfulness Skillと呼ばれており、Fonagyらの提唱する精神分析的精神療法では、「思い至ること」Mentalizationの能力と呼ばれています。これ は、治療的作業の中で非常に重要なものと思われるため、以下で少し詳細に論じてみます。

 まず、弁証法的行動療法での「思慮深さのスキル」Core Mindfulness Skillについてですが、Linehanはその著書"Cognitive-Behavioral Treatment of Borderline Personality"の中で、以下のように述べています。
 『思慮深さのスキルは治療的作業の中心にあります。これは非常に重要であ るために、「中核的なCore」スキルであると呼ばれています。このスキルは、東洋思想である禅の修行の中で行われる瞑想meditationを、心理/ 行動的に定義したものでもあります。』
 『思慮深さスキルの中で「何を」のスキルの中には、何を見ていくか、何を 表現するか、何をしていくか、が含まれます。その目標は、自分でしっかり気づきながら何かをしていく、ということです。逆に言うと、しっかり気づかずに何 かをしていくことは、衝動的で感情にまかせた行動の特徴なのです。』
 『最初の「何を」スキルは、「何を見ていくか」です。つまり、どんな出来 事があったか、どんな情緒的な反応をしたのか、などについて、例えそれが辛いものではあっても、見ていくことです。ここで患者が学ぶスキルは、単純に、そ の瞬間に、どんなことが起こっているのかについて、その状況を離れてしまったり感情を打ち消したりしてしまうのではなく、しっかりと気づいていられるよう にすることです。一般的に言って、出来事をしっかりと見ていくためには、出来事から一歩下がっていることが必要になります。つまり、出来事を見ていくこと は、出来事が起こったことそのもとは別物であるのです。
 2つめの「何を」スキルは、「何を表現するか」であり、つまり、出来事や 主観的な体験を言葉で表現することです。自分の行動や自分の周囲で起こっている出来事に言葉によるラベルをつけていくことは、人と人とのコミュニケーショ ンにおいても、自己コントロールにおいても、必須です。言葉にするという行為には、自分の感情や考えを文字通りにとらないことが必要になってきます。つま り、「怖いと感じた」ということは、その状況が必ずしも生命や身体に危険のあるものであるということではないのです。しかし、境界性人格障害の患者は、し ばしば情緒的な反応と、それを引き起こした出来事を混同してしまっています。例えば、不安の身体的な表現(「胸が苦しいし、のどが詰まった感じがする」) は、それを引き起こした出来事(「学校でテストが始まった」)と混同され、何らかの考えを引き起こすことになります(「テストに失敗してしまう」)。ま た、「考え」は文字通りの「現実」と混同されがちであり、「愛されていないと感じた」は、すぐに「私は愛されていない」となってしまいます。
 3つめの「何を」スキルは、意識せずに何かをすることです。ここでの「何 かをすること」とは、自分を出来事や関わり合いから一歩引かせてしまうことなく、その時、その出来事に完全に関わり合うことを意味します。ここでの行動は 自律的・自発的なものです。』
 以上の引用から、Linehanが「思慮深さのスキル」という言葉で、何を言わんとしているのかが、お分かりと思います。

 一方で、精神分析的精神療法では、「思い至る能力」mentalizationに関連して、どんなことをしているのかを、Fonagyらの治療マニュア ルである"Psychotherapy for Borderline Personality Disorder: Mentalization-Based Treatment"からの引用で以下に見てみます。
 『最初に重要な課題は、感情の表現を安定してできるようになることです。 なぜなら、感情を適切にコントロールすることができなければ、自分の内面をしっかりと考えていくことができないからです。また感情コントロールの問題は治 療の継続そのものに対する脅威となったり、患者の生命・身体の危険を招いたりすることになるからでもあります。感情がコントロールを失っていると衝動的に なってしまうものですし、それがコントロールできてはじめて自分の内面をしっかりと見つめ、自己感覚を強めていくことができるからです。』
 『境界性人格障害の患者は感情に巻き込まれ圧倒されたときに、自身の感情 をしっかりと省みることができなくなっています。こうした感情のコントロールの悪さは境界性人格障害の中核的な症状だと考えられてもいます。この治療プロ グラムの中では、患者が自身の感情をコントロールできないのは、生じてきている情緒的な気持ちを、意識的にも、無意識的にも、しっかりと捉えて理解するこ とができないことの表れだと考えます。ですから、治療プログラムの中では、治療関係の中で患者がどのような情緒的な気持ちで反応をしているか、ということ をしっかりと理解することを援助することが関わり方の中心になります。患者が感情のコントロールを失い非合理的な行動や不適切な行動化にでようとするとき に、この関わり方は特に必要になります。そのようなときには往々にして自傷行為や自殺企図などの衝動行為に至ってしまうのです。適切に関わることで、こう した行動化は充分に低減していくことができます。』
『治療の全体を通じて、以下の原則を守っていきます。
●いろいろな場面で感情を明確化して名前づけしていく。
●現在の状況の中でどんなことが直接的にその感情を引き起こしたのかを理解 していく。
●過去の対人関係の中での、そして現在の対人関係の中での、その感情のもつ 意味合いを理解していく。
●治療者との関係の中で、そうした感情を適切に、建設的な仕方で表現してい く。
●現在の対人関係の中で他者がどのような反応をするだろうか、ということを 理解していく。』
『個人対個人の関わり合いの中で、感情に気づき理解していくことをどのよう に協力してやっていくかをモデルとして示していく機会にすることができます。1対1の関わりの中で治療者は以下のような援助をすることが必要です。
●重要な感情がしっかり気づかれ同定されること。
●そう感じる前に何があったのかを探っていくこと。
●その感情反応の患者本人と他者への影響を考えること。』
『しかし、単純に感情に目を向け、その前に何があったのかを探っていくだけ では十分ではありません。このとき患者は以下のような作業をしなくてはなりません。
●誰がどんな風にその感情を引き起こしたのか?に思いをめぐらせること。
●「自分自身で気づいていなくても、その相手がそんなことを自分にしてきた ような、どんな感情を相手に与えただろうか」ということを考えてみること。
●その感情はついさっき起こったことに関係して引き起こされたのだろうか? あるいは、ずいぶん昔のことに関係して引き起こされたのだろうか?を探ること。
●相手がそれをどう感じるかという視点で、その状況でその感情は適切だった だろうかを振り返って考えてみること。』
『このとき、治療者は以下のような作業をする必要があります。
●その感情が治療者・患者関係の中で生じてきたものであるのかを同定してい くこと。
●患者の過去の体験に思いをめぐらせ、現在の体験を理解すること。
●どのような考え方が正しいとか間違っているとかいうことなく、中立的に、 出来事を別の見方で見ることができないかどうかを患者に考えてもらう援助をすること。
●怒りやコントロール不能な攻撃性に発展するような妄想性のあるいは強力な 歪曲がないかどうかを、しっかり探り理解していくこと。』

 こうしてみると、Linehanの弁証法的行動療法のマニュアルにおいても、Fonagyの精神分析的精神療法のマニュアルにおいても、普段は漠然と物 事をとらえ、漠然と反応してしまいがちな患者の傾向に対して、物事はっきりと見ていく、主観的な体験をしっかりと捉え、コミュニケーションしていく、とい う治療的作業が非常に重要視されていることが共通点として指摘できると思います。

(参考書)
American Psychiatric Association.  Practice Guideline for the Treatment of Patients with Borderline Personality Disorder.  APA. 2001
Linehan MM. Cognitive-Behavioral Treatment of Borderline Personality Disorder.  Gulford Press. 1993
Bateman AW & Fonagy P: Psychotherapy for Borderline Personality Disorder: Mentalization-Based Treatment.  Oxford University Press. 2004

(2)脳の使い方の訓練としての精神療法

 これまで議論してきた事をふまえて、境界性人格障害の精神療法では、実際にどんなことがなされ、どんな治療機序で症状の改善がもたらされると考えられる でしょうか?
 私が精神力動的精神療法の方が専門であるために、以下ではそれをモデルに論じてみますが、前述したように、精神力動的精神療法と弁証法的行動療法は非常 に共通点が多いため、おそらく弁証法的行動療法においても類似した治療メカニズムがあることが推論できます。
 治療の中でやりとりされることは、基本的に治療者・患者関係の中で患者が治療者・患者関係に起こってきたどんなことを、どんなふうに感じ、どんな風に意 識的・無意識的に反応したか、ということを理解し、そのうえで行動していく(治療者・患者間の行動のあり方や治療の枠組みを決めていく)ということが中心 になります。よく、精神力動的精神療法や精神分析的精神療法は、過去の両親との葛藤や抑圧されている無意識的な記憶を思い出す事がその主な治療的作業であ ると誤解されている方がいますが、そういうものではありません。少なくとも、境界性人格障害の治療において有効性が確認され勧められているのは、過去のこ とを振り返るタイプの治療ではなく、「今ここでの」問題を扱うタイプの治療です。
 患者は、主観的な体験を漠然ととらえ、漠然とコミュニケーションする傾向がありますから、当然、治療者との間に起こっていることの情緒的な意味合いも漠 然ととらえ、場合によってはそこに過度な主観的な意味付けが付加され、漠然としたままの反応でコミュニケーションしてくることが多くなります。しかし、治 療関係においては、治療者は患者を理解しようとしますし、患者は治療者に理解してもらおうとする努力を続けるため、漠然としたことを漠然としたままにして おくことにはなりません。より具体的に、よりイメージ性の豊かな、より分かりやすいコミュニケーションをするように促されるのです。精神力動的精神療法に おける「抵抗」(弁証法的行動療法における「治療阻害行動」)に通じることですが、患者は多くの場合、治療者・患者関係における治療者の何らかの(多くは 治療者側の逆抵抗=治療者側の治療阻害行動にもとづく)言動に対して、何らかのネガティブな感情を持つ事があり、そのネガティブな感情にもとづいて、何ら かのネガティブな行動に出てしまう事があります。こうした「抵抗」の扱い方の原則は「解釈」ですから、治療者は患者が何らかの治療の進行を阻害するような ことをしていることを指摘するだけではなく、なぜ患者がそのような気持ちになってしまったのか、患者をそんな気持ちにさせるようなどんな出来事が治療者・ 患者関係であったのか、治療者のどんなネガティブな言動に対して患者が(ある意味非常にもっともに)反応しているのか、といったことについて理解を進め、 その理解をコミュニケーションし、その理解にもとづいて患者に対する関わり方を修正していく、ということを行います。治療者・患者関係では、こうした作業 を延々と数年間も続けていく事になるのです。
 精神療法の役割としては、確かに、患者が気づいていない自己についての気づき(洞察)を得てもらう事、非適応的な対人関係行動パターンに気づき修正して いくきっかけを与えていく事、などもあるでしょう。しかし、境界性人格障害の治療においては、それ以上に、患者のもともとの脳の機能の特徴である「主観的 な体験を漠然としたまま捉え、漠然としたままコミュニケーションをしようとしてしまう傾向」を、反復練習を通じて修正していく、という役割も非常に大きい のではないかと思えるのです。これは、乗用車の運転免許を取る時の教習所における練習や、楽器の演奏の練習のように、脳の新しい使い方を開発するための練 習・訓練ですから、一定の間隔で繰り返される反復練習を継続的に行っていくことが必要なのでしょう。
 だから、有効性を証明されている精神療法の多くは少なくとも1週間に1回以上の頻度で行われるのでしょう。学校などでの運動部の活動が、ほとんど毎日1 時間から数時間練習して、それで数年かけてやっと上達してくることを考えると、本当は治療セッションも毎日1時間から数時間かけて苦しい練習を行った方が 良いのかもしれません。ただ、医療提供側の供給不足の問題や、経済的な問題、さらにあまりに「過酷な練習」をずっと続ける事の大変さの問題などのために、 現状のように週1回程度の頻度でなされることが一般的なのでしょう。
 いずれにしろ、治療体験を通じて「主観的な体験を漠然としたまま捉え、漠然としたままコミュニケーションする傾向」が修正されていけば、患者の主観的な 体験世界は非常に豊かに、しっかりとしたものになっていくはずですし、それまで(楽ではあっても)空っぽであった自分の中身が、しっかりと形のあるものと して出来ていくことになります。対人関係でも、主に最初は治療者・患者関係を通じてですが、理解し理解される関係が可能になります。こうして、少なくとも 理論的には、そして臨床経験的にも、次第に境界性人格障害に特徴的に見られる幾つもの「症状」の改善が図られ、よりしっかりと機能する「自己」を得る事が できるようになっていくことが期待できるのです。




エピローグ

 リカはこの日やっと、4年以上にもおよぶ治療を終えた。大変な治療だっ た。振り返ると最初の1,2年は主治医と対立ばかりしていた。主治医の分かってくれなさがリカをひどく傷つけたし、彼の言動の1つ1つが気に障っていたの だ。そういう出来事の1つ1つを、2人で見つめていった。時にはリカの側の気にしすぎだったし、時には主治医が間違いに気づき認めてくれた。彼もがんばっ てくれたが、リカも相当がんばった。そういう1つ1つの積み重ねで信頼関係が出来ていったのだ。その他の方法では、ここまでの深い信頼関係をつくる事は無 理だっただろう。リカの心は重くなってきた。辛さや苦しみが消えたのではなかった。ただ、それが良い意味で重い、形のあるものとして実感されるようになっ た。もう漠然とした、わけの分からない空虚感に責めさいなまれることはなくなった。治療開始から3年目になると、もう症状と呼べるほどのものはほとんどな くなり、抑うつ気分も、情緒不安定もすごく問題となるものではなくなっていた。あれほど多かった安定剤などの薬も飲まなくて良くなった。これを「治った」 と呼ぶべきかどうかは分からなかったが、少なくとも治療を必要とするものではなくなってきた。そうなると、治療を必要としていなくなっているにもかかわら ず、治療を続けている事が問題となってきた。その頃には既に、リカにとってこの治療はなくてはならないものになっていたので、治療を終える事は大変な苦し みを伴う作業になった。だから、リカが治療を終える事を気にしている事を問題にしだしてから今日までの半年もの間、今日という日が来る事が治療上必要だ し、そうしなくてはいけないと分かっていつつ、不安な気持ちがずっとあった。それでも、最終的にはリカも主治医もこの問題を避けてしまう事なく、しっかり と向き合って理解していく事ができた。その上で、治療を終えた。