患者さんの良い心の支えとなるような、コミュニケーション技能の練習に入る前に、まず「心の病気」について理解することが大切です。この章では、
統合失調症を主とする慢性の精神障害について、全般的なご説明をします。
1.風邪などのように、すぐに治ってしまうものではなく、体質的なものも関係しているため、長期の治療が必要である。
2.症状が強く生活に大きな障害が出てくる「急性増悪期」と、比較的症状が安定しており、幾分かの生活の制限はあっても、まあまあ普通の社
会生活を送れる「寛解期」がある。
このうち「急性増悪期」は、幻覚・妄想、気分の不安定さなどの症状が強く出てくるため、薬物療法を中心とした積極的な治療が必要ですし、場合に
よっては入院する必要もあります。急性増悪期は、適切な治療を受ければ数ヶ月で寛解することが多いです。
その一方で、「寛解期」は意欲の低さ、感情反応の乏しさなどの消極的な症状がありますが、精神病症状はあまり目立たないことが多く、急性増悪を予防する
治療が中心となります。寛解期では一般に、人格の荒廃が著しく衝動コントロールが悪いなどの理由で一般社会での生活が著しく困難な場合を除いて、基本的に
は入院している必要はありません。これは、高血圧や糖尿病の患者さんたちが、急性増悪期以外は内科病棟に入院しないで生活できていることと同じです。高血
圧や糖尿病の患者さんは、塩分制限やカロリー制限や、薬の内服や注射を忘れずにすることなど、生活に若干の制限があることを除けば、ほぼ普通の生活を送る
ことが可能です。これと同様に、慢性の精神障害を抱えた患者さんも、薬を忘れずに服用することや、コミュニケーションを良くして心理的なストレスを減らす
ようにすることなど若干の事柄に気をつけていれば、だいたいにおいて、まあまあ普通の生活を送ることができます。
病状が寛解期にある間は、急性増悪を予防するような治療が大切なのですが、それには(1)服薬をしっかりと続けること、(2)家族とのコミュニケーショ
ンによる心の支えを与えてあげること、が役立つことが、これまでの研究から分かっています。
1.陽性症状とは、幻覚、妄想などの異常な精神体験があるという症状のことです。これは急性増悪と寛解を繰り返すことが特徴ですし、
薬物療法による治療に比較的良く反応し寛解できる可能性が高いことが分かっています。陽性症状は、家族とのコミュニケーションがストレスの少ない、良いも
のである場合に少なくなる傾向があることが分かっています。
2.陰性症状とは、意欲が低下する、自発性に欠ける、など本来あるべき精神活動が無いあるいは減退している症状のことです。急性症状が比較
的目立って急激に出てくるのに対して、陰性症状は目立たないため、いつ頃から始まっているのか分からないことが多いです。また一般に陽性症状のような波は
なく、ずっと不変であるか、緩徐に進行するかという経過をとります。陰性症状のため、患者さんは目立った症状が無くてもやる気が出ず、人との関わりを避け
るようになる傾向がありますし、また集中力や持続力が低下するため、コミュニケーション一般が不得意になる傾向もあります。これを補うために、コミュニ
ケーションの練習が必要になります。
一般に家族の方々とのコミュニケーション練習が重要になるのは、寛解期の予防治療においてですが、この時は陽性症状は少なく、陰性症状が中心に なっているかもしれません。よく幻覚妄想が無ければ病気が「治った」と思われがちですが、陰性症状は残存していることが多く、このためコミュニケーション に困難さを感じている患者さんも大勢います。ですから、それにあわせたコミュニケーションのテクニックのある種の工夫が必要になってくるのです。
図1.相手が話しているときは、ちゃんと目を見て聞いてあげましょう。
1.質問をしない。相手の話に「なぜ?」「どういうつもりだったの?」等の質問をしないようにして、話を聞き続けます。もし相手の話
がひどく不明瞭で曖昧な場合は、「というと?」などの言葉でさらに話してくれることを促す程度にします。
2.指示や命令をしない。相手の話について、言いたいことがあっても、話を聞き続けている間はそれを言わず、聞き役に徹します。「それは
やっちゃだめでしょ!」、「今度から...しなさい!」などの指示を差し挟まないようにします。
3.相手に対する意見を言わない。相手の話を聴きながら、批判したい気持ちになっても、「あなたは...だね」、「またやったのね!何度
言ったら分かるのよ!」等の、相手に対する意見、特に批判的な意見は言わないようにします。
4.相手の方を向いて、相手と視線を合わせて話を聴く。話を聴く間、そっぽを向いているのは良くありません。あまりにじっとにらんでいるの
も問題ですので、時々視線を合わせてあげるようにしましょう。
5.うなづく、相づちをうつ。
6.語り返しをしてあげる。相手が「OOOで、XXXだったの。」と話したら、それをそのまま「OOOで、XXXだったのね。」と返してあ
げたり、要約して「OOOでXXXと感じたのね」などと返してあげることです。ここに何ら意見や批判が入っていないことに注目してください。ただ、相手の
語ってくれた世界を、イメージとして共有しているだけなのです。「あなたは、こんなことを思っていたんだね」、「あなたは、こんなことを体験したんだね」
といった気持ちです。
この1週間の間、毎日20分ずつ時間をとって、患者さんが「話し手」を、家族の方が「聴き手」を練習しましょう。毎日の練習時間が終わったら、以
下のチェックシートを利用して、自分が「聴き手」の役割をしっかりすることができたかどうかを確認しましょう。
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実際の生活では、患者さんの行動に対して、全く指示や意見を言わないでいるのは不可能です。ですから、ここで「質問をしない」、「指示をしな
い」、「意見を言わない」というのは、練習の時間だけに適応されるものです。ですが、こうして練習することによって「聴き手」の技能が向上することが期待
できますし、不必要な質問や指示をしないでも相手の話を聞き続けることができることが分かってくると思います。そうなると、日常生活の会話の中でも、これ
までより質問や指示や意見を言わなくても、お互いの関係が成り立ってくるようにもなることでしょう。
さらに実際に指示をしなくてはいけない場合、どのようにしたら最もストレスが少ない、適切な指示を与えることができるか、ということは、「物事を頼んだ
り、指示をする技能」で学んでいきます。
では、「注目する技能」をこの1週間を使って練習していきましょう。まず、患者さんが日常的にする行動を振り返ってみて、2,3個の好ましい行動
を選んでみましょう。ちょっとした「良いこと」でも良いですから、できるだけ頻繁にお目にかかる行動を選びましょう。例えば、「食べ終わった後で食器を片
づける」、「自分の部屋の掃除をする」、「静かに本を読んでいる」などです。
次に、もし患者さんがこれらの好ましい行動をしているのを見かけたら、「注目する技能」を使って、温かい声をかけてあげるようにしましょう。1日の終わ
りに以下のチェックシートを使って、2つ3つ選んだ「注目すべき行動」について、ちゃんと「注目する技能」を使って声をかけてあげることができたかどう
か、振り返るようにしましょう。
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では、この1週間は「ほめる技能」を練習しましょう。まず、患者さんが日常的にする好ましい行動のうち、ほめてあげたい、つまりもっと伸ばしてあ
げたい行動を2つ選んでみます。悪い行動ばかりが目立ってしまって、ほめるべき行動が見あたらない、という家族の方は、悪い行動の反対語を作ってみましょ
う。例えば「(いつも)相手に大声でどなってしまう」は「(時には)静かに話すこともある」ですし、「(いつも)小声で、はっきり喋らない」は「(時に
は)大きな声で、はっきりと喋ることもある」、というようにです。この後者の方を「ほめるべき行動」の目標としましょう。例えば、いつも小声で、ぼそぼそ
と喋ってしまう患者さんの場合、それでも時々、はっきりと大きな声で喋ることがあったら、その時にすかさずほめてあげるのです。「今は大きな声で、はっき
り喋ったね。聞き取りやすくて良かったよ。」などと言ってあげるのです。
1日の終わりに、以下のチェックシートに、「ほめるべき行動」をちゃんとほめることができたかどうか、振り返ってチェックしてみましょう。患者さんが
「ほめるべき行動」をしたら、すぐに、すかさず、ほめてあげるように気をつけていましょう。
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この練習をしているうちに、これまで患者さんの「悪い点」ばかりに目が向いていたのが、ふと気づくと「良い点」を探そうとしているようになってい
ることに気づかれるかもしれません。それこそが、望ましい家族の方々の態度なのです。
1.まず声をかけたり、名前を呼ぶなどして、お互いの視線を合わせる。
2.どんなことをして欲しいか、1つの行動を特定して、具体的に指示する(肯定形で)。
3.そうしてくれると、どのように感じるかを伝えてあげる。
4.相手が指示に従って行動してくれたら、それに対して「注目する技能」、「ほめる技能」で応えてあげる。
上記の4点はどれも非常に重要です。例えば、「ねえ、花子ちゃん(声をかけて視線をあわせる)。ここに置いてある自分のカバンを、自分の部屋に片 づけて欲しいの(具体的な行動を指して、肯定形で、1つだけ指示を与える)。そうしたら、お母さんも嬉しいわ。」「(患者さんが片づけたのを見て)片づけ てくれたのね。ありがとう。(注目する技能、ほめる技能)」という具合です。
この1週間、今回はチェックシートは作りませんが、患者さんに何らかの指示をするたびに、その後で上記の4つのポイントをちゃんと言えていたかど
うか、振り返ってみましょう。特に、「4」は大切で、指示を与えたら、ちゃんとそれをやってくれる様子を見届けるようにしましょう。(上の図2のような
「言いっぱなし」の態度は良くありません。)
1.まず声をかけたり、名前を呼ぶなどして、お互いの視線を合わせる。
2.気持ちを落ち着けて、どんな相手の行動があったかを具体的に言葉で言い表してあげる。
3.その行動のために、どんな気持ちになってしまったかを伝える。
4.今後どうして欲しいかを、「何々して欲しい」というような肯定形で伝える(「指示をする技能」参照)。
ここで大切なのは、相手の性格や人格を批判したり否定したりするのではなく、相手のした行動について指摘してあげる、ということです。「あなたの した、これこれという行動のために、私はこれこれという気持ちになってしまった。今後はもっとこうして欲しいと思う」という具合です。例えば、「ねえ、花 子ちゃん(声をかけて視線を合わせる)。今、あなたのカバンをここに放り投げちゃったでしょう(相手の行動を特定して、具体的に指摘する)。お母さんは片 づかないのがちょっと嫌なの(自分がどんな気持ちになったかを伝える)。帰ってきたら、カバンは自分の部屋に片づけて欲しいわ。(肯定形で指示を与える。 「指示をする技能」)。」などです。もちろん、これで患者さんが「何々して欲しい」という指示に従ってくれたら、それに対しては「注目する技能」、「ほめ る技能」を使って応えてあげることを忘れてはいけません。
この1週間、チェックシートはありませんが、患者さんに何らかのネガティブな感情を伝えることがあったら、ちゃんと上記の4つのポイントを言えて いるかどうか、振り返るようにしてみましょう。もし、ネガティブな感情を伝える必要がなければ、それはとても良いことですが。
さて、この5つで、とりあえず最低限度のコミュニケーション技能練習は終わりです。さらに複雑な技能が必要だと思われるとき、あるいは具体的にど
うして良いかよく分からず困ってしまったときは、患者さんの主治医などに相談してみましょう。
いずれにしろ、このコミュニケーション技能の改善は、あくまで再発予防のために行われるものです。もし再発してしまったら、出来るだけ速やかに受診をし
て、早く急性期治療を受けるようにしましょう。
<例>精神科に通院しているK子さんは、昨日の受診時に処方の内容が変わり、新しい薬が追加になりました。ところが、翌日から身体に赤い発疹がでてかゆく
なってきました。もしかしたら、薬の副作用かもしれないと思いました。でも、どうしたら良いか困っていました。
(1)問題を具体化・明確化する。
問題は、新しい薬の副作用かもしれない発疹が出てしまったことです。そもそも本当に副作用なのか?副作用だとすると、どうしたら良いのか?ということが
問題です。
(2)その問題に対する方策を、可能な限りいろいろ、自由な発想で、列挙してみる。
K子さんは、一緒にいたお母さんに相談しました。お母さんは「じゃあ、どうしたら良いか、一緒に考えてみましょう。どんな解決策があるかしら。」と促し
ました。一緒に考えて、以下のような方法を思いつきました。
O-1:新しく処方された薬を止める。
O-2:今内服している薬を全部止める。
O-3:クリニックに受診に行くか、主治医の先生に電話で相談してみる。
O-4:以前にじんま疹が出たときに皮膚科でもらった薬を使って様子をみる。
(3)それぞれの解決方法について、その利点と欠点を考えてみる。
それぞれの方法にはどんな利点と欠点があるでしょうか?K子さんは、お母さんと一緒に考えて、以下のような利点と欠点をあげることができました。
O-1:新しく処方された薬を止める。
<利点>たぶん新しい薬がいけないのだと思う。すぐに実行できる。
<欠点>もしかしたら別の原因かもしれない。止めたせいで心の症状が悪化するかもしれない。薬を止めるだけでは不十分で皮膚科の薬が必要かもしれない。
O-2:今内服している薬を全部止める。
<利点>すぐに実行できる。どの薬が原因でも大丈夫。
<欠点>薬が原因じゃないかもしれない。止めたせいで心の症状が悪化するかもしれない。薬を止めるだけでは不十分で皮膚科の薬が必要かもしれない。
O-3:クリニックに受診に行くか、主治医の先生に電話で相談してみる。
<利点>一番確実なことが分かる。もし皮膚科の薬が必要な時は処方してもらえる。安心できる。
<欠点>面倒くさい。お金がかかる。副作用を疑って先生に話すのは少し怖い。
O-4:以前にじんま疹が出たときに皮膚科でもらった薬を使って様子をみる。
<利点>すぐに実行できる。たぶん以前の薬でも効くだろう。
<欠点>それだけで良いのかよく分からない。新しい薬は飲み続けていて良いのか?もしかしたら、以前の薬は合わないかもしれない。
(4)それぞれの解決方法の利点と欠点を考えて上で、どの方法が良いかを選ぶ。
K子さんは、お母さんと相談しながら、結局一番安全そうなO-3を選ぶことにしました。ちょっと面倒ですが、やっぱり安全が一番だと思ったのです。
(5)選んだ方法で実行する。
しかしK子さんは、ちょっと先生に副作用の質問をするとかいうのに気が引けていました。そんなことを言ったら、先生は気を悪くするのではないか?嫌な患
者だと思われるんじゃないかと少し不安でした。ちゃんと、先生に面と向かって相談できるかどうか、少し自信がありませんでした。そこで、お母さんに先生の
役をしてもらい、先生に相談することのリハーサルをすることにしました。診察室のように、机の前にお母さんが座って、K子さんが「先生、先日もらった新し
いお薬を飲んだ翌日から、身体に赤いじんま疹のようなものが出てしまいました。副作用じゃないかと心配なのですが。」という練習をしました。2,3回練習
するうちに、何とか言えそうな自信がついてきて、K子さんはクリニックに出かけていきました。